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2017年、第1回関東例会(4月8日)のご案内

2017年度第1回関東例会を4月8日(土)に開催致します。

今回のご報告は、大久保翔平会員による「東南アジア島嶼部におけるアヘン消費の広まり―17世紀後半から18世紀半ばを中心に―」および川島緑会員による「19世紀初頭東南アジアのイスラーム・ネットワークのなかのミンダナオ ―写本と口承からみるサイイドナー・ムハンマド・サイドの旅―」の2報告です。

詳細は下記をご覧下さい。
多くの方々のご参加をお待ちしております。

日時:2017年4月8日(土) 13:30~17:45

会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室
(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

☆第1報告(13:30~15:30) 
報告者:大久保翔平(東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻アジア史専門分野博士課程)
題目:「東南アジア島嶼部におけるアヘン消費の広まり―17世紀後半から18世紀半ばを中心に―」
コメンテーター:弘末雅士(立教大学文学部教授)

<報告要旨>
 本報告は、17世紀後半から18世紀半ばにかけての東南アジア島嶼部におけるアヘン消費の広まりを検討するものである。シンガポールのアヘン徴税請負についての研究で知られるカール・A・トロツキも認めるように、17世紀後半以降のアヘン貿易拡大に果たしたオランダ東インド会社の影響は大きかった。それにも関わらず、アヘン貿易や消費に関する研究は18世紀末以降に集中しているのである。
 このような問題意識に基づき、本報告では18世紀半ばまでのアヘン消費のあり方を分析し、アヘン貿易の拡大が果たしたアヘン消費への影響を考察する。ヨーロッパ人の残した各記録からは、アヘン消費に娯楽や医療、戦争といった多様な側面があったことを観察できる。一方、当該期の時点で、商品作物や鉱産物の生産現場での消費、依存の問題、徴税請負の芽生え等、従来18世紀後半以降のものとして強調される事象について、その萌芽を見出すことができるのである。

☆第2報告(15:45~17:45)
報告者:川島緑(上智大学総合グローバル学部教授)
題目:「19世紀初頭東南アジアのイスラーム・ネットワークのなかのミンダナオ ―写本と口承からみるサイイドナー・ムハンマド・サイドの旅―」
コメンテーター:太田淳(慶應義塾大学経済学部准教授)

<報告要旨>
 18-19世紀南部フィリピンのムスリムに関する歴史研究は、武装商人の軍事・経済活動や、政治支配者に関するものが多く、個々のイスラーム学者に関する実証的な事例研究はほぼ皆無である。本研究は、このような研究の偏りを是正し、南部フィリピン出身ウラマーの知的活動の実態、および、東南アジアと中東のウラマーをつなぐネットワークにおいて彼らが占めた位置を明らかにすることを目的とする。具体的には、ミンダナオ島内陸部ラナオ湖岸出身で、19世紀初頭、マッカ巡礼の旅を果たし、帰郷後、現地の社会制度を改革したと伝えられるイスラーム学者・イスラーム聖者、サイイドナー・ムハンマド・サイドという人物に焦点を当てる。報告者が現地調査で確認・複写した写本を主な史資料と用い、口承と比較検討しつつ、サイイドナーの旅の経路と出来事を跡付け、彼が故郷の社会に何をもたらしたかを検討する。それを通じ、19世紀におけるマレー世界他地域や中東との交流が、ミンダナオ島ラナオ地域の宗教や社会に与えた影響を考察する。

例会終了後、18時から19時頃まで、同会場にて懇親会を予定しております。

ご不明な点などございましたら、関東例会委員(kanto-reikai[at]tufs.ac.jp)までご連絡ください。([at]を@にして下さい)







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2016年度第6回関東例会(2017年1月28日)議事録

2017年1月28日に開催されました、2016年度第6回関東例会の議事録を掲載いたします。

第一報告:13:30~15:30
報告者:山口真央(東京外国語大学大学院 総合文化研究科 博士後期課程)
コメンテーター:根本敬先生(上智大学 総合グローバル学部 総合グローバル学科 教授)
報告題目:アジア・太平洋戦争期の東南アジアとインド独立運動―1941-42年のバンコクを中心に―

〇コメント(根本敬先生)
 アジア・太平洋戦争期の東南アジアとインドの接点としてインド国民軍(INA)を描く試みが先行研究の中でなされてきたとはいえ、本発表は「失敗した第一次INA期」に着目し、バンコクという磁場を定めて、日本とインド人独立運動家たちがどのような接点を持ち、相互の認識にいかなる齟齬があったのかを英国側史料や日本側史料を幅広く用いて詳細に見ている点で高く評価できる。
 今後、報告を改善していく上で、技術的側面としては、内容の骨子をレジュメでは簡潔にまとめることを心掛けると良い。また、内容的側面としては、報告者は第一次INA期を「東南アジア史とインド史の接点」ととらえ、バンコクを中心に分析を行っていたが、一般に注目される第二次INA期を含めた全体像を最初に提示した方が理解しやすい。さらに、磁場としてのバンコクを見るならば、英国側史料や日本側史料だけでなく、タイ語史料へのアクセスや第一次INAから第二次INAを通じた評価を今後の研究で試みて欲しい。
戦後のインドにおいてINAをめぐる評価が分かれていることはよく聞かれるが、INAを支持する人々の中でビルマの南機関の鈴木敬司大佐にあたるような、日本軍の中で別枠の「英雄」として評価されている人物はいるのか、さらには第一次INA期に勝ち取られ、第二次INAに影響を与えたものは何だと考えられるかを報告者に質問したい。

〇回答
 鈴木大佐のように、INAとの関わりで評価されている人物は藤原岩市である。彼はインド独立への願いを真摯に受け止めてくれたとインド人側からみなされている。藤原は、インド人側から全く評価されなかった岩畔豪雄と異なり、インド独立運動への自身の関与について、回顧録などを通じて自身の主張をアピールしたことも彼が「英雄」としてみなされる理由の一つになったと考えられる。
 第一次INAから第二次INAに引き継がれたもの、またその反省点から試みられたものもある。例えば、第一次INAに参加したインド人将校は第二次INAにおいても活動しており、人的な繋がりは保たれていた。また、第一次INA期には、インド系住民からの支持をどのように取り付けていくかが課題となっていたが、第二次INA期には住民からの支持を得るために、S. C. ボースは民間人からの募兵を盛んに行い、婦人部隊を創設することで独立運動に参加する機運を高め、第一次INAの限界を乗り越えようとしたと考えられる。

〇質疑応答
 質問:日本が「大東亜共栄圏」をどのように位置づけたのか、インドへの施策をどのように定めたのかを防衛研究所の所蔵史料から跡付けていく必要があるのではないか。
 回答:先行研究の中で防衛研究所の未公刊史料は十分に扱われてこなかった。この点については第25軍史料などの検討を通じて明らかにしていきたい。
 質問:報告の中でアメリカ側史料が用いられているが、イギリス側の史料との違いがあるのだろうか。
 回答:イギリス側は戦前期から在外インド人の独立運動を調べ上げているのに対し、アメリカ側の史料では、イギリス側に比べて戦前期の状況をそれほど詳細に調べている訳ではないという違いが見られる。
 質問:報告の中で二つのバンコクのインド人組織が登場したが、その組織とバンコクに定着していたインド系住民の間で対立は生じたのか。
 回答:タイのインド独立連盟はスィック教徒を主体とした組織であったと考えられ、メンバーと住民の間で何かしらの対立があったと示唆する記録もある。タイ・インド文化ロッジは、バンコクに定着していたインド人商人たちの中に積極的に支持を広げたので、対立はなかったと考えられる。

(文責:山口真央)



第二報告(15:45~17:45) 
報告者:渋谷由紀(東京大学大学院人文社会系研究科・博士課程、東京大学附属図書館・特任研究員)
題目:ベトナム南部都市における民族主義運動の限界性:20世紀前半サイゴン市議会選挙の分析を通じて
コメンテーター:髙田洋子(敬愛大学国際学部国際学科 教授)

■コメント(髙田洋子氏)
1930年代のベトナム南部ではトロツキストが力を持っていたが、1945年の八月革命までにトロツキストはインドシナ共産党によって押しつぶされていった。このプロセスについては明らかにされていない点が多い。1930年代の植民地都市サイゴン市の政治について前後の社会経済関係から解き明かすというアプローチには大きな可能性がある。
一方下記の点は課題である。第一に、メコンデルタの農民蜂起(1930年~1931年)はメコンデルタ全域の現象というよりは、メコンデルタの一部地域の現象であり、過大評価はできない。1920年代の好景気の時期と大恐慌後の1930年代の時期の間で地主の間で階層分化が進んだこと、すなわち中小地主が負債の焦げ付きにより没落し社会的なバックグラウンドが変わったことのほうが、より重要である。第二に、植民地制度下の諸議会の性格を明確化すべきである。フランス植民地政権が、議会制度のコーチシナ植民地への移植に相当の思い入れを持っていたことは事実であろう。特にサイゴン市議会とコーチシナ植民地評議会の性格の違いについては詳細な説明が求められる。

■質疑応答
1.インドシナ立憲党の公約は、1920年代末に具体化したものの、1933年選挙では漠然とした文言に後退したという。しかしながら1937年選挙の公約は再度具体化しているように見える。
回答:1933年・1935年選挙の議席減少によってインドシナ立憲党が方針を変更した。

2. 報告の結論部分においては、1930年代の公約の文言から、最下層の人々、特にインフォーマルセクターの人々の選挙参加率が低かったことが示された。一方、1919年選挙ではインフォーマルセクターの人々が票田となっている。
回答:時代が下るにつれ投票者数が下がるという現象とともに未解決課題である。諸議会が現地人の政治運動の場と化すにつれ、植民地政府が有権者登録制度を改変し、有権者がフォーマルセクターの人々中心となるようにコントロールする動きがあったこと、またインフォーマルセクターの人々の主な居住地が市域外であったことが関係しているのではないか。

3. 新聞を通じて分析可能なものは文字の読み書きが可能な人々の政治活動に限定される。識字・階層の問題をどう考えるか。また、新聞以外に選挙活動の手段として何が用いられていたのか。
回答:限界性については指摘の通りである。一方、本報告では、フランス語紙とベトナム語紙の双方を史料として利用しており、フランス語のほうがベトナム語よりも流暢な上層の知識人と、フランス語教育を受けたもののベトナム語紙を好む中層の人々との間の政治行動の差を明らかにできると考えている。ビラの存在は史料から確認できるが詳細は不明である。演説会については史料に断片的記述がある。

4. タイトルに「民族主義運動の限界性」とあるが、「民族主義」という言葉はどのような意味で使用されているのか。現地人が選挙を通じて行う運動が民族主義運動にフォーカスを当てたものであるとは限らないのではないか。
回答:「民族主義」という言葉の使い方については十分に意識していなかった。

5.有権者の投票行動は、必ずしも立候補者の公約によって規定されるわけではなく、組合や町内会といった組織を通じた、いわゆる「組織票」が存在したように考える。
回答:労働組合を票田としようという動きは1920年代から見られた。また私立学校の教員が選挙に立候補し、生徒の父兄が教員に票を投じるといった記事を確認している。

6. 1920年代・1930年代の政治運動については、同じ党派に所属する人々の中でも考え方に大きな幅があったように考える。よって党派の主張を分析単位とする研究手法は必ずしも有効ではなく、むしろ個人単位の思想分析のほうが有効ではないか。
回答:課題としたい。当時の南部で影響力が高く、特定の党派に属さず植民地期に没したグエン・アン・ニンについては、選挙に対して実質的に参加しておらず、選挙関係記事からは分析が難しい。

7. 社会構造の問題と、植民地統治による政治権力の分断という問題を区別すべきではないか。
回答:植民地統治による政治権力の分断という点に関しては、植民地化直後の時期を除き、植民地政権下の諸議会がアジア系外国人を排除していたことが重要であると考えている。

8. 「大衆運動への転換期」および「民主運動期」の定義付けは報告者によるものか否か。
回答:先行研究の定義である。

(文責:渋谷由紀)


2017年度関東例会発表報告者募集

東南アジア学会会員のみなさま

2017年度も東南アジア学会関東例会をよろしくお願いします。

さて、関東例会では下記のとおり、2017年度の報告者を募集いたします。多くの
方々のご応募をお待ちしています。特に締め切りは設定していませんが、早目の
申し込みをお願いいたします。

■2017年度東南アジア学会関東例会報告者募集

・関東例会では、コメントと質疑応答の時間を含め、各報告者に2時間という長
い持ち時間が与えられます。討論内容は記録され、後日、関東例会のウェブサイ
トに掲載されます。ご自身の研究のアピールの場として、また多様な関心を持つ
研究者からコメントやアドバイスを受ける場として、この貴重な機会をご活用く
ださい。

・報告者は東南アジア学会会員に限定いたします。
コメンテーターは学会員である必要はありませんが、報告者ご自身で依頼してい
ただくようお願いします。(どうしても探せない場合は担当理事までご相談くだ
さい)

・これまでの報告事例については関東例会ウェブサイトをご覧ください。
http://kantoreikai.blog.fc2.com/

■2017年度の関東例会 開催日程

2017年(平成29年)
第1回2017年4月8日(土)
第2回2017年5月20日(土)
第3回2017年10月28日(土)
第4回2017年11月25日(土)
2018年(平成30年)
第5回2018年1月27日(土)

毎回13時30分開会、17時45分閉会。1回につき2報告

■会場

・東京外国語大学・本郷サテライトです。
・第2回2017年5月20日(土)は4階セミナー室です。他の回は5階セミナー室を使
用します。
・住所:〒113-0033東京都文京区本郷2-14-10
・TEL&FAX:03-5805-3254
・アクセス:地下鉄(丸ノ内線・大江戸線)本郷三丁目駅下車徒歩5分
・会場へのアクセスは以下をご参照ください。
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

■報告・コメント・討論の時間
・報告者は1回につき2名、途中に休憩をはさんで、それぞれ報告60分、コメンテ
ーターによるコメント10分、フロアからの質問と討論50分を予定しています。

■応募方法
・関東例会で報告を希望される方は、関東例会連絡用アドレスの東南アジア学会
関東地区担当・宮田敏之まで、下記の情報を明記して電子メールでお申し込みく
ださい。

関東例会連絡用アドレス:kanto-reikai☆tufs.ac.jp (☆マークは@に変えてください)

<記載情報>

・氏名と所属
・発表を希望する日を第2希望まで
・報告題目(仮題目可)および報告要旨(300~400字)
・コメンテーター(氏名、所属、メールアドレス)
・報告記録者(氏名、所属、メールアドレス)
・希望する使用機器(Windowsノートパソコン、プロジェクター、レーザーポイ
ンターのご用意が可能です。その他の機材についてはご相談ください。)

■応募の取り扱い
・報告要旨を読んだうえで判断させていただきます。例会の運営上、報告の可否、
報告の日程についてご希望に添えない場合があります。また、要旨については書
き直しをお願いする場合もあります。ご了承ください。
・グループによる申請(ミニ・シンポなど)も受け付けていますのでご相談くだ
さい。

■報告記録
・関東例会では、例会の報告記録を、関東例会ウェブサイトに掲載しています。
これは、コメンテーターからのコメント、質疑応答のポイント、今後の課題等に
ついて、1200字から1500字程度でまとめたものです。
・報告記録は、報告者ご自身でまとめていただくか、あるいは報告者ご自身で報
告記録者を選びご依頼いただくようお願いいたします。

■懇親会
・例会終了後、簡単な懇親会を開催いたします。

■関東例会ウェブサイト
・関東例会のお知らせ、予定、報告記録を随時掲載しています。ご活用ください。
http://kantoreikai.blog.fc2.com/

■問い合わせ
・宮田敏之(関東例会担当、東京外国語大学) tmiyata☆tufs.ac.jp
・関東例会委員 kanto-reikai☆tufs.ac.jp(☆マークは@に変えてください)

2016年度第6回関東例会のご案内

2016年度第6回関東例会を1月28日(土)に開催いたします。
今回は、山口真央会員による「アジア・太平洋戦争期の東南アジアとインド独立運動
―1941-42年のバンコクを中心に―」と、渋谷由紀会員による「ベトナム南部都市における民族主義運動の限界性:20世紀前半サイゴン市議会選挙の分析を通じて」の2報告です。

詳細は下記をご覧下さい。
多くの方々のご参加をお待ちしております。

日時:2017年1月28日(土) 13:30~17:45

会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室
(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

☆第1報告(13:30~15:30)
山口真央氏(東京外国語大学大学院 総合国際学研究科 博士後期課程)
コメンテーター:根本敬氏(上智大学 総合グローバル学部 総合グローバル学科 教授)

報告題目:アジア・太平洋戦争期の東南アジアとインド独立運動―1941-42年のバンコクを中心に―

報告要旨:アジア・太平洋戦争期に南方と呼ばれていた東南アジアで、日本軍により多くの地域が支配され、その過酷な支配が現地の人々から激しい反発を招いたことはよく知られている。他方で日本の南方進出に呼応し、日本と協力してインドの独立を達成しようとしたインド系住民のインド独立運動は、戦時期の東南アジアを語る上で歴史の一つの側面となっており、南アジア史と東南アジア史が交差する出来事であったにも関わらず、文書史料に基づく実証的な研究は未だ少ない。
 特に、唯一独立を保っていたタイには、それほど多くのインド系住民たちが暮らしていたわけではなかったが、日本軍の進駐以降はバンコクを中心に、東南アジアのインド独立運動の中枢となっていった。
 本発表では、イギリス側一次史料(旧インド省史料など)と日本側一次史料の分析を通じ、アジア・太平洋戦争の勃発(1941年)からインド独立運動が一つの転換点を迎える、第一次インド国民軍の崩壊(1942年)までを対象として、バンコクを中心としたインド独立運動を通してアジア・太平洋戦争期の東南アジアを再考したい。


☆第2報告(15:45~17:45)
渋谷由紀氏(東京大学大学院人文社会系研究科・博士課程、東京大学附属図書館・特任研究員)
コメンテーター:髙田洋子氏(敬愛大学国際学部国際学科 教授)

報告題目:ベトナム南部都市における民族主義運動の限界性:20世紀前半サイゴン市議会選挙の分析を通じて

報告要旨:本報告は、20世紀前半にサイゴン市議会議員選挙の現地人議員枠をめぐって行われたベトナム人の政治運動の分析を通じて、サイゴン市(現ホーチミン市中心部)を舞台とする仏領期の都市民族主義運動の動員力の限界性を検討するものである。1933年以降同市議会の現地人議員枠では、仏越提携を主張するインドシナ立憲党からインドシナ共産党系とトロツキスト系の共産主義者で形成されるより急進的な「労働派」へと、中心勢力が移動した。しかしながら運動の急進化にも関わらず、1945年の八月革命ではサイゴン市のベトミン政権は極めて短命に終わった。その要因は従来、第一にフランスのコーチシナ植民地復帰という国際的要因、第二に都市の運動と農民の運動の連携の失敗に求められ、都市の運動の都市住民に対する動員力の限界性という点からは検討されてこなかった。本報告は都市の運動の限界性を新聞記事上の公約と票数変動を通じて明らかにする。

例会終了後、18時から19時頃まで、同会場にて懇親会を予定しております。

2016年度第5回関東例会(11月26日)議事録

2016年11月26日に開催されました、2016年度第5回関東例会の議事録を掲載いたします。

第1報告(13:30~15:30)
報告者:悴田 智子(上智大学大学院・グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻・博士前期課程)
題目:ロヒンギャをめぐる「語り」から何が見えるか:ロヒンギャ問題の歴史的経緯と在日ロヒンギャ難民の現状
コメンテーター:斎藤紋子(上智大学アジア文化研究所客員所員)

■コメント(斎藤紋子氏)
1:ムスリムの分類について・・・ミャンマー国内では、発表で示されたような4分類を全員の人々が知っているわけではない。一般のミャンマー人は、ほぼ一括りに「ムスリム」もしくは「ロヒンギャとその他のムスリム」などと認識している。ミャンマー人たちが「インド人」と言った場合には、現在のインドを指すだけではなく、イギリス植民地の範囲という意味で、(現在の)パキスタン、インド、バングラデシュなどの部分を含めている。もしくは、中央アジアやトルコの方まで大きく含めている場合もある。
2:1982年ビルマ国籍法について・・・ロヒンギャ全員が国民証を所持していないわけではない。ロヒンギャ以外のミャンマー人でも地方在住者は国民証の発行を受けていない場合もある。過去には、選挙前にロヒンギャに対し臨時の国民証を配布し、選挙後没収する、と言う例もあった。
3:ロヒンギャ第二世代のアイデンティティ認識について・・・第二世代が自らを「ムスリム人」であると表現したことについて。これは一般のミャンマー人の場合も、ムスリムを見て「彼らはムスリム人」という答えが返ってくることがある。これはミャンマーにおいて民族と宗教を分ける(民族と宗教は異なる)という教育がなされていないためである。例えば中国系ムスリムに対して身分証を発行する際、役所の人間が「ムスリムであればインド人」というように決めつける事例がある。
4:ロヒンギャをめぐる現在の状況・・・11月以降ラカイン州で過激派がロヒンギャを名乗って活動を始めた。国内ではこのことをめぐり様々な報道がなされている。従来であれば在ミャンマーのバマー・ムスリムが政府発表に対し様々な反論を行うが、今回は沈黙しているように感じられる。他の少数民族の内戦も再開しており、ロヒンギャにとっては不利な状況になっていると言える。
■質疑応答
1:ロヒンギャはなぜ館林に集住しているのか。また、在日の他民族やムスリムとの交流はあるか。
回答:
田辺寿夫によると、館林やその近隣の市町村に工場が多くあり仕事が多い点、近隣にムスリムが住んでいる点、最初に来日したロヒンギャが館林に住んだため、そこから増えていったという点が指摘されている。聞き取り調査でロヒンギャ以外のビルマ出身ムスリムに会った際、その人に関しては、ロヒンギャやその他の外国人とも交流があると述べていた。
2:在日ロヒンギャ難民はどの程度の数か。また、在日ビルマ・ロヘンギャ人協会の加入者数はどの程度か。
回答:
新聞報道などによると、在日ロヒンギャ難民の数は220~230名程度とされている。協会の加入者数は約100名程度である。
3:英国植民地期の政府は、ロヒンギャに対しどのような政策をとっていたのか。
回答:
 ミャンマーにおいて「(土着)民族」という単語が登場したのは植民地期以降だと考えられる。ロヒンギャという単語については、1950年代にロヒンギャの名を冠した政党がアラカン州で結成されたことが確認できているが、それ以前についてはセンサスなどでもロヒンギャの名前は存在せず、おそらくベンガル人に分類されていたのではないか。ロヒンギャの言語は「ベンガル語の一方言」であり、出身地で言うとコックスバザールやその近隣の人々が、国境も近いためにビルマに流入したと考えられる。また、植民地期には「英領インドビルマ州という扱いだったので移動もかなり自由に行われていた。ロヒンギャはその頃流入した人々の中の1グループという分類であると思う。したがって、植民地当局がロヒンギャに対してどう接していたかというより、ビルマのムスリムに対してどう接していたか、という風に考えていただいた方がいい。

第2報告(15:45~17:45)
報告者:姫本由美子(トヨタ財団・立教大学アジア地域研究所特任研究員・早稲田大学アジア太平洋研究センター特別センター員)
題目:日本占領下インドネシアでの文化工作における刊行物の役割―日刊紙『アシア・ラヤ』とサヌシ・パネ著『インドネシア史』を手掛かりに―
コメンテーター:倉沢愛子(慶応義塾大学名誉教授)

■コメント(倉沢愛子氏)
日本占領期に流通した刊行物の中心的なものは新聞と教科書であったとのことで、報告で日刊紙『アシア・ラヤ』と歴史教科書を取り上げたことは理解できる。しかも、当時刊行された歴史教科書だけでも膨大な分量になるが、それのみならず大量の資料を扱ったことは評価に値する。日本が侵攻する以前の東南アジアにおいて実施された植民地政策は、宗主国によって異なる。オランダ領東インドの文化政策では、「原住民」の識字率の向上が図られなかった。「大東亜共栄圏」建設では、植民地の台湾等では日本語が国語と位置づけられたが、占領地では「東亜の共通語」とされ、現地語の併用が推進された。以上の点を考慮すると、日本占領期にインドネシア人によって初めてインドネシア語で書かれた『インドネシア史』が、インドネシア独立後の識字率の向上に伴い6版まで改編されて1965年ごろまでより多くのインドネシアの人々に読まれ、同国の歴史像が共有されたという主張は理解できる。日本占領期の刊行物が、日本語等の言語からインドネシア語に置き換えられた時に生じる意味のズレをうまく利用して、インドネシアの人たちは検閲を逃れたと考えられるが、扱った刊行物に対する検閲の実態はどのようなものであったのか。いつ、「独立」などという言葉の使用が許されるようになったのか。また、国史を書くことは短時間ではできないが、サヌシ・パネは『インドネシア史』をどのように執筆したのか。

回答:
 日本占領期初期のジャワでの検閲は、同地を占領・管轄した陸軍第十六軍の宣伝班が行い、検閲は厳しくなかった。1943年4月設置の軍検閲班へ担当が移行後、厳しくなった。日本側は、日本を中心とした大東亜の総合的歴史を教えるために、占領期末期に歴史教科書『大アジア史とジャワ史』を刊行した。サヌシ・パネの『インドネシア史』は、占領期初期に市来竜夫の主張によって再開されたバライ・プスタカによる既存の学校教科書のオランダ語からインドネシア語への翻訳や改編作業に乗じて、1943年初めに第1巻の刊行が実現したと考える。しかし、1945年初めに刊行された第4巻には、独立後の改訂版に含まれているインドネシア民族主義運動の章がない。
 サヌシ・パネは、オランダ領東インドの領土を引き継いでインドネシアが独立することを構想し、その時代も含めた同地域の歴史をインドネシアの人々が共有することがインドネシアのアイデンティティ形成につながると考えていた。日本占領期以前から、インドネシアの歴史執筆を手掛けていたのではないか。日刊紙『プマンダ(ン)ガン』に1941年末にマレー半島の略史を寄稿していることからもうかがえる。

■質疑応答
1.サヌシ・パネとはどのような人物か。
回答:
 詩人、そして1930年代後半の「文化論争」の論客の一人として有名。イスラームを信仰するバタック・マンダイリンで、1930年にインドに留学し、ヒンドゥー文化やタゴールの影響を強く受けた。日本占領期以前の彼の思想については、拙論文「日本侵攻前夜のインドネシア知識人のアジア認識―サヌシ・パネはその時いかに『インドネシア的なるもの』を構想したか―」を参照されたし。

2.日本占領期にジャーウィ文書やジャワ文字の文書等は刊行されたのか。
回答:
本報告で扱った日本占領期の刊行物目録にジャーウィ文書は含まれていないことは、当時のイスラーム系学校への不介入と関連しているかもしれない。また、占領期初期に26万部印刷された学校用教科書ジャワ語読本が、ジャワ文字によるものかローマ字に翻字したものか確認していないので、速やかに行いたい。

3.『インドネシア史』の内容は小学校の歴史教科書などに反映されているのか。
回答:
 独立後外務大臣を務めたことのあるスバルジョは、著書のなかで『インドネシア史』の記述を引用している。しかし、1965年の9・30事件以後、教育文化省から『インドネシア国史』が刊行されて以降、『インドネシア史』は忘れられた。

(文責:姫本由美子)

2016年度第4回関東例会(10月22日)議事録

2016年10月22日に行われました、2016年度第4回関東例会の議事録を掲載いたします。

第1報告(13:30~15:30) 
報告者:持田洋平(慶應義塾大学・文学研究科・後期博士課程)
題目:シンガポール中華総商会の社会的機能の形成――その設立と初期活動を中心に
コメンテーター:村上衛(京都大学人文科学研究所・准教授)

■コメント(村上衛氏)
中国本土では、19世紀後半における地方財政の危機を背景として、会館・公所などの同業・同郷団体の再編が進み、これらの団体は、徴税の請負や治安維持などに協力して地域社会への関与を深めていった。このような状況下で、清朝商部は商会を設立し、各地に点在する商人を把握しようとした。商会は各地の同業・同郷団体を統合する形で設立され、その活動範囲は商務や会員の親睦・情報交換に加え、当局への対応や公共事業・政治活動など多岐に渡っていた。いわゆる「小さな政府」を志向し、様々な業務を民間に委託していたという意味で、清朝政府と植民地政庁には類似性が存在しているであろう。
報告者はシンガポールの中華総商会の活動と社会的機能についてその独自性を強調していたが、このような実態を考えるのであれば、その活動にはかなりの共通性が存在したのではないか。また中国本土の商会と比較した場合、シンガポール中華総商会の独自性としてどのような点があげられるのか。
さらに、商会の規約にあたる「商会簡明章程」について、これはあくまで商会の活動のガイドラインに過ぎず、実際の活動は地域ごとに多様であったため、この内容から商会の具体的な活動範囲を推定できると考えるべきではないだろう。

回答:
 まず「商会簡明章程」について、報告の中でシンガポール中華総商会の独自性という問題設定を補強させるために引用したが、村上氏のご指摘を受け、これは正しい使い方ではなかったと感じた。今後、より適切な引用の仕方を検討したい。
 続いて、中国本土の商会と比較してのシンガポール中華総商会の独自性という点について、特に幇派の存在があげられる。村上氏からご指摘いただいたように、中国本土の商会が各地に点在した、まとまりのない大小さまざまな同業・同郷団体を統合する形で設立されたのに対し、シンガポール華人社会では中華総商会設立以前より幇派という強固な社会・経済的共同体が既に存在しており、出身地毎の方言を基に一定のまとまりが形成されていた。中華総商会はそれらの集団の対立的な関係を緩和し、華人社会を一つにまとめあげるようなリーダーシップを担う役割を果たしたという点に特徴があるということができる。

■質疑応答
1.報告の中で篠崎香織氏の論文「シンガポール華人商業会議所の設立(1906年)とその背景――移民による出身国での安全確保と出身国との関係強化」(『アジア研究』50(4)、2004年、38-54頁)が引用されているが、この論文は二重国籍の選択的な利用などとも共通するトランスナショナルな華人のあり方を議論するための切り口として中華総商会という事例を扱っているのであり、報告者の議論の方向性とは異なるのではないか。
回答:
 ご指摘いただいた通り、報告者と篠崎氏の論文では議論の方向性に違いがあり、それは両者の華人社会史に対する関心のあり方の違いに起因するものであろう。ただし扱う事例は共通しており、また報告者の観点から見ても篠崎氏の論文は重要な論点を提供していると判断されたため、本報告の中では篠崎氏の論文を先行研究として位置付け、言及した。

2.報告の中で、「中華」総商会という言葉を使っているが、当時においてこのような語彙が新聞上などでそのまま使用されていたのか。またこのようなナショナルな概念の普及は、植民地制度との関係性があるのか。
回答:
 報告の中で説明したように、当時の新聞に掲載された記事や広告では「中華」という表記が頻出している。こういったナショナルな概念が華人社会に普及していく経緯については、報告者の論文(持田洋平「シンガポール華人社会の「近代」の始まりに関する一考察――林文慶と辮髪切除活動を中心に」『華僑華人研究』9、2012年、7‐27頁)にて、特に植民地制度の変遷と重ねながら検討した。

(文責:持田洋平)

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第2報告(15:45~17:45)
報告者:宮川慎司(東京大学・博士課程)
題目:電力制度に関するインフォーマリティー ―フィリピンにおける「盗電」を事例に―
コメンテーター:受田宏之(東京大学・准教授)

■コメント(受田宏之氏)
 本研究への問いや課題点としては、次の4点があげられる。
①「盗電」という現象に関するデータに関して。この研究では、先行研究にはないような、データ面の新しさや豊かさとしてはどのようなものがあるか。また、盗電の「現場」を離れたマクロな視点も含まれるが、それを示すデータはあるのか。
②アプローチ方法に関して。経済学的な視点と人類学的な視点が出てきているが、両者の違いとはどのようなものか。新制度学派経済学の位置づけはどのようなものになるのか。また、人類学的な立場としては、盗電を否定するのではなく、理解しようとするものなのか。
③現在の反インフォーマリティの風潮にどのように抗していくのか。かつては、de Sotoなど、下からの開発や貧困層の問題解決能力への期待といった研究もあったが、現在では、設計主義や生産力主義の研究が盛んである。そこで、そうした議論の流れに対して、盗電に議論はどのように対抗していくことができるのか。
④盗電をどのように「正当化」できるのか、という点について。盗電分のロスを正規契約者に負担させることは、正規契約者から盗電者への強制的な再分配である。これは、公道の露天商、休閑農園を占拠した土地なし農集団などの事例と比べても、よりゼロ・サムゲームの「強い」インフォーマリティである。その点で盗電を「正当化」するのは難しいのではないか。電力料金を上回る現金を移転する代わりに盗電に対して厳罰を科す、などの政策が導入されたらどうなるのか。

■コメントへの回答
①盗電はフィリピンだけではなく全世界の多くの貧困地域で行われているが、それに関する質的な先行研究は少ない。その点で、貧困層の生存戦略の実態解明に資することができる。
②理論の位置づけに関しては今後の課題である。自分の立場としては盗電を否定するのではなく、現実として盗電の排除を試みても根絶するのが難しい以上、うまくフォーマルセクターとの折り合いをつけるべきだという考えを持っている。
③現時点の仮説としては、インフォーマリティを厳格に弾圧してしまうと、貧困層は生活が極めて苦しくなり、生産力が落ちてしまうのではないか。そのため、彼らが徐々に非インフォーマリティの生活に適応できるように、段階的なフォーマル化の試みがのぞましい、と考えている。
④たしかに、盗電を正面から正当化するとは難しいことである。なので、盗電を厳格には罰しないことで、貧困層の生産力を下げないようにする、というような間接的な正当化しかできないだろう。また、電力料金を上回る所得移転などの政策は、現実問題として盗電の量を測定する難しさなどからあまり現実的ではないように思える。

■フロアからの質問
1.「社会規範」、「社会的な分断」といった時の「社会」とはどのような範囲を指しているのか。
回答:
 もちろん、実情は複雑であり、現地で詳細な調査を行わないとわからないが、現在のところ、盗電者/正規契約者、貧困層/中間層(富裕層)の2×2の4つの属性をを想定している。盗電者/正規契約者の間の分断と、貧困層/中間層の間の分断は先行研究でも言われてきたことだが、中間層だが盗電をする人、貧困層だが法律を守る人、という軸での研究はあまりないように思える。

2.今回の非合法活動に対する分断の話は、ドゥテルテ大統領の反イリーガルの政策にも関連しているのか。
回答:
 ドゥテルテ大統領の政策は、例えば麻薬取り締まりにおいて政府関係者などを名指しで摘発するように、貧困層/中間層の区別なく合法/非合法という軸での政策のように思える。その点で本研究とは異なる点もあるが、もちろん大いに参照すべき事例である。

(文責:宮川慎司)

2016年度第5回関東例会のご案内

2016年度第5回関東例会を11月26日(土)に開催いたします。
今回は、悴田智子会員による「ロヒンギャをめぐる「語り」から何が見えるか:ロヒンギャ問題の歴史的経緯と在日ロヒンギャ難民の現状」と、姫本由美子会員による「日本占領下インドネシアにおける文化工作と刊行物の役割―日刊紙『アシア・ラヤ』とサヌシ・パネ著『インドネシア史』を手掛かりに―」の2報告です。

詳細は下記をご覧下さい。
多くの方々のご参加をお待ちしております。

日時:2016年11月26日(土) 13:30~17:45

会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室
(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

☆第1報告(13:30~15:30)
悴田 智子氏(上智大学大学院・グローバル・スタディーズ研究科地域研究専攻・博士前期課程)
コメンテーター:斎藤紋子氏(上智大学アジア文化研究所客員所員)

報告題目:ロヒンギャをめぐる「語り」から何が見えるか:ロヒンギャ問題の歴史的経緯と在日ロヒンギャ難民の現状

報告要旨:2016年2月~10月に関東地方で実施した聞き取り調査の結果をもとに、日本に定住するビルマ(ミャンマー)出身難民・ロヒンギャの現状について報告する。ロヒンギャは、ビルマ政府から「国民」として公認されない少数民族の一つである。彼らの中には、1988年のビルマ民主化運動の際に難民化し、
日本でコミュニティを形成している人々が約200名存在する。
 本報告では、前半でビルマにおけるロヒンギャの「周縁化」に関する歴史的経緯と、日本以外の国で難民化するロヒンギャの現状を先行研究に基づいて紹介する。後半で、聞き取り調査によって得た在日ロヒンギャ難民の現状と、在日ビルマ人(非ロヒンギャ)がロヒンギャに対して向けるまなざしについて報告する。

☆第2報告(15:45~17:45)
姫本由美子氏(トヨタ財団/立教大学アジア地域研究所特任研究員/早稲田大学アジア太平洋研究センター特別研究員)
コメンテーター:倉沢愛子氏(慶應義塾大学名誉教授)

報告題目:日本占領下インドネシアにおける文化工作と刊行物の役割―日刊紙『アシア・ラヤ』とサヌシ・パネ著『インドネシア史』を手掛かりに―

報告要旨:初めに、日本占領下のインドネシア、特にジャワにおいて、日本が行った文化・文教政策との関連で印刷された刊行物の概要と特徴を明らかにする。次に、その中から宣伝班によって創刊されたインドネシア語日刊紙『アシア・ラヤ』の文化欄の論説と、文教班管轄下のバライ・プスタカから刊行された『インドネシア史』を取り上げる。それら―その執筆はインドネシア人作家、特にサヌシ・パネが行った―が刊行された背景、そこにおいてインドネシア人作家が込めた主張の特徴を、日本の文化・文教政策との関連から明らかにする。また、それがその後のインドネシア社会に与えた影響についても触れる。
 これらの刊行物を通してインドネシア人作家が持論を主張できた背景には、検閲をかいくぐる彼らの巧みな処世術やインドネシアの民族主義に共感する日本人軍属などの存在があった。インドネシアの民族主義を抑え込むために日本が提唱した日本を指導者とする「大東亜共栄圏」構想に対して、同刊行物はインドネシア独立の拠り所として彼らが模索したインドネシア、そしてアジアのアイデンティティを表明する役割を果たした、と考えられる。

関東例会10月例会(10月22日)のご案内

2016年度第4回関東例会を10月22日(土)に開催致します。

今回は、持田洋平会員による「シンガポール中華総商会の社会的機能の形成――その設立と初期活動を中心に」と、宮川慎司会員による「電力制度に関するインフォーマリティー ―フィリピンにおける「盗電」を事例に―」の2報告です。

詳細は下記をご覧下さい。
多くの方々のご参加をお待ちしております。

日時:2016年10月22日(土) 13:30~17:45

会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室
(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

☆第1報告(13:30~15:30) 
報告者:持田洋平(慶應義塾大学・文学研究科・後期博士課程)
題目:シンガポール中華総商会の社会的機能の形成――その設立と初期活動を中心に
コメンテーター:村上衛(京都大学人文科学研究所・准教授)

<報告要旨>
 シンガポール中華総商会はその設立以降において、商業を管轄するのみならず、幇派により分断されていた華人社会をまとめる代表者としての機能を果たした。しかし清朝による規約にあげられているのは商業の管轄に関する内容のみであり、現地の華人社会をまとめるような内容は含まれていない。であるならば、このような機能は清朝が想定していた商業会議所としての本来の機能ではなく、シンガポール華人社会という場において副次的に備わったものであると考えるべきであろう。しかし、その具体的な過程に関して検討した研究は管見の限り存在しない。
 本発表は、この組織の創設過程と設立当初の運営・活動などについて、華人社会内部の幇派による分断とその克服のための試みという観点から整理することにより、この組織が商業の管轄という枠を超えて華人社会全体を代表するような役割・機能を担うことが可能となった歴史的・社会的背景を明らかとする。


☆第2報告(15:45~17:45)
報告者:宮川慎司(東京大学・博士課程)
題目:電力制度に関するインフォーマリティー ―フィリピンにおける「盗電」を事例に―
コメンテーター:受田宏之(東京大学・准教授)

<報告要旨>
 近年、新制度学派が影響力を増し、多くの人々に経済活動への参加を促すような政治的、経済的制度の整備が目指されている。この考えと方向を一にする2001年のフィリピンの電力産業改革法は、電力公社を民営化した。利益を追求する民営電力会社は、主に貧困層が行う電力の違法利用である「盗電」への対策を強化した。その結果、現実には以下のように、制度への適応が困難な貧困層の経済活動への十分な参加が妨げられている。
 まず、上記の盗電対策の強化は、電力に支出の多くを割くことを強い、貧困層の生活を困窮させている。
 さらに仮説として以下が挙げられる。制度改革以降、正規契約者に発行される料金表に、電力会社の盗電による損失の補填料金が記載されている。盗電分の負担の明示化は貧困層と中間層の社会的分裂を招き、両者の経済圏の分離につながる可能性がある。
 本発表では以上の点に関し、電力制度の検討とマニラでの盗電に関する現地調査から考察する。


例会終了後、18時から19時頃まで、同会場にて懇親会を予定しております。

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ご不明な点などございましたら、関東例会委員(kanto-reikai[at]tufs.ac.jp)までご連絡ください。([at]を@にして下さい)

2016年度第3回関東例会(6月25日)議事録

2016年6月25日に行われました、2016年度第3回関東例会の議事録を掲載いたします。

第1報告(13:30~15:30)
報告者:加藤久美子 (上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科・院生)
題目:インドネシア南東スラウェシ州ワカトビ県バジョ集落モラにおける開発と観光地化
コメンテーター: 鈴木佑記 (東洋大学アジア文化研究所)

コメント(鈴木佑記氏)
 本報告は、対象地域における開発と観光地化に関わる多様なアクター(村落住民、地方政府(県レベルの行政)、中央政府(国家行政)、超国家的組織(NGO等))を分析し、その開発・観光地化が進展していく模様を明らかにした。その過程では、アクター同士の目的が異なっているにも関わらず、ときに共謀・協力しており、開発の重層性というものが明らかになった。さらにこの開発・観光地化の進展に伴い集落モラでは、「バジョ・モラ」というバジョ像が創造されていることが報告された。
 この報告の意義には、①サマ語系集団研究の「空白地帯」を埋める研究であること、②現地住民の視点から地域動態を解明しようと試みたこと、③ローカル・リージョナル・ナショナル・グローバルでのアクター分析を行ったことの3点が挙げられる。
 本報告は、地方開発の事例として、また海民の比較研究につながる事例としても考えることができる。例えばタイのアンダマン海域に居住する海民モーケンは、海域の国立公園化に伴い、域内での居住、漁業・採取などが禁じられる場合もあり、その結果、陸地への定住化が進んでいる。ワカトビ国立公園内に居住するバジョは、どのような国立公園化の影響を受けているのか。また、モラに訪れるツーリストやメディア、研究者などの外部者は同のように観光開発に関わっているのか。
加えて、海民のエスニシティの柔軟性として、バジャウ研究の長津一史氏はバジャウの混淆性を指摘しているが、その点に関してバジョ・モラには如何なる状況が見られるか。

回答
1. ワカトビにおける国立公園化の影響について。
 インドネシア政府による国立公園化は、管理が行き届いている状況ではなかった。2003年にワカトビ県が制定された後、国際NGO、国立公園事務局、ワカトビ県による管理体制が整えられた。ワカトビ国立公園の約3%の区域は、コア・ゾーンとして進入禁止区域に指定されているが、誤って侵入した際も罰則などが与えられることはない。しかし、一部のリゾートホテルなどが現地漁民を買収し、漁業を禁止しているという話も聞く。

2. ツーリスト、メディア、研究者などの外部者の影響。
 観光客の数はまだ少ない。集落モラとしては観光客を呼び込み、利益を上げたいが、難しい状況にある。観光者が影響を及ぼすというよりは、逆にモラ側に観光者に対してお金を落とす観光客であってほしいという期待がある。観光地化を一緒に実践するアクターとしての観光客が求められていると言えるのかもしれない。

3. バジョの混淆性について
 バジョ語を母語とするひとがバジョであると言われている。両親のどちらかがバジョであっても、バジョ語が話せなければバジョと認識されない。ブギスの屋根飾りを模した装飾が集落内に見られるが、南東スラウェシのバジョの起源はブギスであると語られており、混淆性を考えるのならば、今後はその点についても着目していきたい。

質疑応答
1. 1956年にモラへ大規模な移住があったとされているが、その要因は何か。
回答:インドネシアにおける1965年の混乱でも大規模な移住があったと言われるが、実際に何が要因であったのかは定かではない。一度に大規模な移住が起き集落が形成されたというよりも、徐々に住民が増え集落を形成したと言われている。住民それぞれに移住の理由があり、今後の調査で明らかにしていきたい。

2. 海を埋め立てているが、その所有権のようなものはあるのか。あるいは、埋め立てることによってそういった認識が発生しているのか。
回答:集落の位置する海域の埋め立てをワカトビ県が許可していないという話も聞かれる。モラ住民は、ワカトビ県によってそこ(海沿い)に住む許可は与えられているが、権利ではない。海の所有権などもない。しかし、指摘されたように、今後埋め立てにより土地(空間)所有という認識の発生する可能性がある。

3. ブトン系の住民がマジョリティであるが、彼らとの関係性はどのようなものか。
回答:内陸の住民には、利益を横取りするバジョという認識もある。開発の資金が集中することによって、嫉妬の対象としてのバジョという認識が強化されている。しかし、集落モラには、モラに頻繁に訪れるブトン系のひともおり、交流がある。集落内にはブトン系の住民もいる。

(文責:加藤久美子)

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第2報告(15:45~17:45)
報告者: 河野佳春 (国立弓削商船高等専門学校)
題目: マルク紛争への「アンボン人」の対応について――南マルク共和国旗掲揚運動とペラ再編運動を軸に
コメンテーター: 小池誠 (桃山学院大学)

コメント(小池誠氏)
 マルク紛争の終息期に、マルク主権同盟の南マルク共和国旗掲揚運動が、インドネシア中央政府に国際社会の目を意識させ、さらに政治交渉の場において、いわば旗揚げと口先だけのマルク主権同盟が、現実に武力行使を行っていたラスカルジハードと等価となり、互いの指導者の取り締まりや運動の解体が交換条件となったことについて。
 インドネシア政府から見て、第三者的に見ていかに取るに足らない存在であっても、マルク主権同盟がインドネシアナショナリズムに反する点で明確に敵であり、紛争か激化の主犯であるラスカルジハード同様、許容できない存在である。
 関連してマルク主権同盟の取り締まりにおいて報告者が指摘した不自然から、彼らがいわば(政府によって)「泳がされていた」可能性がある。

質疑応答
1.マルク主権同盟の会員数150人程度に対し、具体的な場面で1000人ほどの支持者について言及があり矛盾している。綱領や規約、会員の人数構成について具体的にわかるのか。
回答:現時点で綱領・規約について把握できておらず今後の課題としたい。人数については会員と野次馬的なもの、社会的不満分子も含むシンパで大きく違う。関連して、活動の中心がアンボン市内クダマティ地区であった事から、2000年以降ラスカルジハードの攻撃が一過的殺戮放火破壊から、次第に占領征服に変化してきており、その前線がアンボン市中心に迫ってきていたことで、地区の人々が中心となったと考えている。

2.マルク主権同盟について報告者が主に用いた、カトリック教会アンボン司教区危機センターによる資料集、C.J.B?hm msc, Brief Chronicle of the Unrest in the Moluccas 1999 - 2006. CRISIS CENTRE DIOCESE OF AMBOINA. と新聞などそれ以外の資料に、マルク主権同盟の運動について表面的説明でなく、踏み込んだ分析見解が見つけられないか。
回答:現時点ではそのような情報を発見できて居らず、新聞各紙もアンボン司教区危機センターも、具体的な事件の顛末と、州知事や中央の政治家、警察幹部や宗教指導者ら各個人の発言紹介に留まっている。

3. 報告中で「アンボン人」社会の統合の弱さが指摘されたが、具体的にどういうことか。
回答:紛争以前にペラ慣行によって「アンボン人」の一体意識キリスト教イスラム間の調和が人口に膾炙していたが、紛争が拡大し地域外からラスカルジハードが介入した時、地域社会が団結してこれに対処できなかった点をこのように表現した。

4. マルク主権同盟に参加した人々はその後どうなったのか。
回答:実際には南マルク共和国旗掲揚など運動はその後も継続し、海外支部も存在している。そこにはムスリムの参加者も居る。

(文責:河野佳春)

2016年度第2回関東例会(5月14日)議事録

2016年度第2回関東例会(5月14日)の議事録を掲載いたします。

第一報告(13:30~15:30)
報告者:間瀬朋子(東洋大学)
報告題目:ジャワ汽水養殖池地域の社会経済――環境悪化下での地主、小作人、地域社会の駆け引きを中心に
コメンテーター:長津一史(東洋大学)

1 コメント(長津一史氏)
 本報告はインドネシア・東ジャワ沿岸部の汽水養殖池地域を取り上げ、多くの住民が養殖池で生計を立てる社会の全体構造を示した。自然生態環境が悪化するなかで池主が経済的に苦しくなり、小作人との利益の分配をめぐって葛藤がある。養殖池の富に群がる地域住民もいる。そこに展開する社会関係は、簡単な相互扶助では説明できない。イスラームの教えが、池主や小作人、地域住民の行動様式に影響をあたえている。ジャワの稲作農村社会の論理、たとえばインヴォリューション論は、ジャワの養殖池社会を読み解く手掛かりにはなっても、養殖池社会にしっくりとは当てはまらない。
 この研究調査は、東南アジア研究のなかにどのように位置づけられるのだろうか。ジャワ地域研究のなかにはどうだろうか。エビ、ナマコ、マグロ、ハタなどの自然資源の商業化は、何度でも繰り返し起こっていることである。たとえばそのような文脈に、このジャワのエビ養殖池地域における調査研究の位置づけを考えてみることが重要である。
 1970年以前の、ミルクフィッシュだけが養殖されていた時代に、池主の多くはほんとうにメッカ巡礼を果たせるほど潤沢な利益を上げられていたのだろうか。
回答:
 研究調査の位置づけには、苦心している。本報告で、ジャワ沿岸養殖池地域の分益小作制とジャワ稲作農村にみられるそれとの比較をおこなったり、農業のインヴォリューションを引きあいに出したりしたのも、その模索である。自然資源の商業化や環境悪化下での養殖の変化を時系列的に追いながら、自分がフィールドでみたものを検証し、東南アジア研究やジャワ研究のなかに位置づける作業はまだできてないが、今後の課題にしたい。
 ミルクフィッシュだけで池主が経済的に潤っていた時代についての検証が不十分だったかもしれない。そのような時代があったと思っているが、今後の聞き取りで確認する。

2 質疑応答
1)最近、エビ養殖がうまくいかないせいで収益があまり上げられていないのに、なぜ池主は養殖事業を止めないのか。シドアルジョの人間関係において、池主であること自体に特別な重要性があるのか。
回答:池主が経営するひとつの池で収益が上げられなくても、別の池では収益が上がっているかもしれない。今回の養殖サイクルで収益が上がらなくても、次のサイクルで上げられるかもしれない。前のサイクルでは収益を上げられたのかもしれない。このような形で、池主は池から上がる収益にまだまだ期待をしているために、養殖にしがみつく。池主というステータスでなく、かれらは池から上がる収益を求めている、と発表者は考える。

2)養殖池の小作人や日雇い労働者は地元出身者なのか。
回答:地元出身者がいないわけではないが、小作人や日雇い労働者の多くは東ジャワ州ラモンガン県やモジョクルト県などからの外来者である。かつてマングローブを切り拓いて養殖池を造ったのも、海を埋め立てて養殖池として整備したのも、多くは外来者であった。

3)養殖池の所有者と池主はちがうのか。昔から池主は地税を支払っていたのか。
回答:所有者はかならずしも池主ではない。というのも、池を賃貸ししていて、直接的に養殖業を営んでいない場合もあるからである。逆に、池主はかならずしも所有者ではない。池を賃借りして、養殖を営む場合があるからである。池の広さにもとづいて、所有者は地税を支払ってきた、と聞いている。

4)養殖池に2006年ラピンド熱泥事件の影響はみられるか。
回答:熱泥は川をつうじて池に入る。しかし、それで稚エビが死滅したり、養殖が大失敗したりしたという話を、現地のエビ養殖農民からはあまり聞かない。


第二報告(15:45~17:45)
報告者:深見純生(無所属)・田畑幸嗣(早稲田大学)
報告題目:「東南アジア古代史(7~10世紀)ウェブ版詳細年表の公表と今後の利用」
コメンテータ:奥平龍二(東京外国語大学名誉教授)・淺湫毅(京都国立博物館)

[コメント]
(奥平龍二氏)
・専門は11世紀から19世紀にかけての歴史である。この地域で非常に関心があるのは、セデスが提示したインド化と、あまり一般的には言われないが11世紀から14世紀にかけてのミャンマーに始まって、タイ、ラオス地域のシンハラ化(上座仏教需要の大陸部における文化変容)、同じ時期の島嶼部でのイスラーム化の受容、文化変容の起こった地域つまり外文明の受容と自省的な志向、外文明の受容と変容の視点から、私はこの地域を捉えている。7~10世紀は時期が外れるが、私自身は古代史にも関心がある。東南アジアの古代史における7~10世紀という時期はセデスのいう第二次インド化(4,5世紀)以降の時期であり、7世紀は土着化していく過程の時期だと思う。
・漢籍史料による文献史学が先行して行われ、そこに東南アジア研究が始まり、実際に発掘して、絶対年代のわかる刻文が出てきて、それを追っかける形で研究が行われてきた。考古学という別の分野ももちろん同時並行的に行われた。それに伴って美術史、建築史も行われた。報告を聞いていると、美術史、建築史、考古学すらも絶対年代が分からない分、絶対年代をもとに作られた年表に、相対的な考古、美術、建築のそれぞれの、相対的な年代の組合せ、統合を行うのは、相当大変な作業であると実感している。報告者の絶対年代に近づけていきたいという、東南アジアへの歴史への意気込みが感じられる。
・報告書全体を読んだ結果、いずれの論考も水準が高く、新しい知見が得られるものである。内容的に未知の分野が開拓されつつあり、また80年代の刻文研究を顧みると大変な進展だと思う。刻文研究がかなり進展し、それに伴い美術史、建築史及び考古学の水準の高さも、門外漢の私でも相当なものではないかと感じ取れる。
・(報告者は)東南アジア史の研究を統合することを試みていると思うが、(この年表は)綜合の第一歩だと考える。これからの史実の発見によって、研究の幅と深さができ、東南アジア古代史の立体化が進むことが期待されるのではないか。研究そのものも、ここに挙げられた分野だけでなく、他分野にわたる、横断的な研究がこれから行われ、またいわゆる学際的な研究が行われていくだろう。
・歴史年表は、7~10世紀の歴史が叙述されることによって、東南アジア大陸部と島嶼部の関係がさらに深まり、また南アジアや東アジアとの交渉史を考える際の有益な資料となると思われる。

(淺湫毅氏)
・日本・中国を中心にアジアの仏教彫刻を研究しているので、東南アジアのプロパーというわけではないが、仏教美術を研究している者としてコメントさせて頂きたい。
・このような困難な海に漕ぎ出されたことに敬意を表するとともに、大変感謝したい。このまま途中でやめることなく、続けてほしい。みなさん、見にくい表だとおっしゃるが、大変充実したものだと思う。あまり網羅的にやっても、重要な点が隠れてしまうと困るので、本当に重要なところでやって頂くのが良いのではと思う。年表を見ると、空白のところと密度の濃いところが一覧でわかる。そういった目で見てみると、何らかの意味が読めてくるのではないかと思う。たまたま、中国側の記録の多い時期ということもあるかもしれない。ただ、それ以外の可能性が、もしかしたら将来的に何か見えてくることもあるかもしれないので、データの集積を今後も行って頂きたい。
・ただし一利用者として利用するのは困難が伴う。ネットで公開する場合は、ダウンロードしてみるより、画面でクリックしてみせることにするほうが良いかと思う。例えば、マス型のこういうシートではなくて、帳票というのがあり、661年をクリックすると661年の横になっているものが、一ページの中に帳票形式で出てくると、すべての地域、すべての分野が一覧で、一画面で見ることができる。
・美術の観点からいうと、絶対的な年代が書いてある紀年作品というのは、残念ながら東南アジアにはないと思う。唯一東南アジアで手がかりになるのは、フランス極東学院が建物や刻文の年代から美術様式のある程度の物差しで置いてくれているので、それを一つの東南アジアの物差しとして、隣の国の物差しと対応させてどうか、というところで相対的な年代を出す。紀年はないが、基本的に、美術は同じ方向に進化しているというのが、インドや日本や中国をみていると思う。特に7~10世紀の仏教美術というのは、シンプルなものから複雑なものへ、文様の単純な少ないものから複雑怪奇なあるいは空白極小のようなことになっていく。東南アジアもおそらくは同じ傾向と考え、とりあえず、置いてみる。それをクメール、チャンパー、ドヴァーラヴァティ、タイとマレー半島、インドネシアでおいてみて、さらにそれがどれくらい地域ごとでずれがあるのかということで、ある種の文様とかで並べてみるのが一つの手かと思う。
・これだけの研究なので、世界的に有名になってもよいと思うので、将来的には、英語やフランス語で、外国の人が見てもわかるようにしてほしい。

質疑応答
・(報告者追加コメント):配布資料の年表の解題について。
漢籍の解題に、扱った時代を書き忘れた。実際には、隋から宋の初めまで記した。刻文班は刻文が出てくる時代から扱っているので、全体で、それぞれの開始年代が異なっている。漢籍については、7~10世紀以前の年表もすでに作成しノートとしてある。
・なぜ、隋以前を入れていないのか?ノートがあるなら、入れたほうが良い。
―科研の枠組みは7~10世紀の400年である。漢籍の場合は、王朝単位で扱う方が扱いやすい。唐からだと618年からになり、この期間に当てはまらない時期があるので、隋から扱っている。また、年表に挙げる際には点検し直す必要があり、この作業は7~10世紀の部分しか行っていない。
・西アジア、南アジアにはみ出す必要性は感じたということか。7~10世紀を把握するために、それ以前が入ってくる必要はないのか?
―海域アジアという発想が私にはある。ペルシャやアラブの船は東南アジアを通ってやってくる。それがインド洋から素通りして中国にいくはずがない。東南アジアに必ず本拠地があったはず。しかし、現在まで考古学ではその証拠は発見されていない。イスラームは墓を残すはずだが、墓は残っていない。西アジア・南アジアを取り上げている中で、いくつかは海を通ってやってきたはずである。そうすると、それは東南アジア地域外の問題ではないだろうと考え、(年表に)挙げる必要があるだろう。問題は西アジアという場合、どこを指すのかということである。中国史でいうと西域を指すが、それまで入れると作業量が多くなる、またその多くは陸路で来ているはずで東南アジア経由ではないと考える。そうすると、東南アジア経由の可能性があるのは漢文資料でいう西アジアだと波斯と大食の二つであるので、(年表に)挙げた。多くの場合、陸路で来たか海路で来たかわからないのが問題である。同じ事情はインドにもある。これらは東南アジアに本拠地、基地、中継港を持っていたはずであり、東南アジア外の問題ではない。
 ペルシャ・アラブがやってくると、漢文資料には朝貢記録もかなり多いが、明らかに民間交易である場合も多い。民間交易は王朝の記録には残りにくいので、ちらちらと出てくるだけであるが、明らかに民間と思われるものがある。例えば、広州に1年に40隻の西の船がやってくる。これがすべて朝貢とは考えられない。朝貢記録のないときに民間船が来ている可能性を考える材料として必要であると考え、挙げた。

(文責:山﨑美保)




2016年度第3回関東例会(6月25日)のご案内

2016年度第3回関東例会を6月25日(土)に開催いたします。
今回は、インドネシアに関するご報告が2本です。
多くの方のご参加をお待ちしております。
なお、例会終了後は簡単な懇親会を予定しております。

<日時・会場>
日時:2016年6月25日(土)(13:30~17:45)
会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

<プログラム>
第1報告(13:30~15:30)
報告者:加藤久美子 (上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科・院生)
題目:インドネシア南東スラウェシ州ワカトビ県バジョ集落モラにおける開発と観光地化
コメンテーター: 鈴木佑記 (東洋大学アジア文化研究所)

第2報告(15:45~17:45)
報告者: 河野佳春 (国立弓削商船高等専門学校)
題目: マルク紛争への「アンボン人」の対応について――南マルク共和国旗掲揚運動とペラ再編運動を軸に
コメンテーター: 小池誠 (桃山学院大学)

<報告要旨>
第1報告・加藤久美子
「本報告では、バジョ集落モラにおける開発と観光地化の実態を明らかにすることを試みる。インドネシア・南東スラウェシ州ワカトビ県のバジョ集落モラでは、近年急速な開発と観光地化が進んでいる。バジョは家舟や海上に形成した集落に居住する事でも知られるサマ語系集団の一派であり、同地域ではバジョ集落内の開発(埋め立て・住居増設)と同時に、バジョが形成する海上集落の観光地化が試みられていた。2015年に現地にて行った聞き取り調査及び参与観察を通じて、同集落で行われている観光地化には行政機関だけではなく、国立公園を管理する国際NGOも関与していることが明らかになった。一方で、集落住民による開発・観光地化の誘致が実現している事例もあった。このように複雑な状況下で多様なアクターは異なる理想を描き、対立し、時に共謀しながら、集落モラの開発と観光地化を実践している。また、これらの動態が集落モラへ及ぼす一作用として、「バジョ・モラ」アイデンティティが表明されつつあることにも言及したい。」

第2報告・河野佳春
「本報告は、マルク紛争に対する「アンボン人」の対応について、マルク主権同盟の南マルク共和国旗掲揚運動と地域支配層主導のペラ再編運動を軸に述べる。マルク主権同盟は2000年12月に活動開始、以来毎年4月25日にアンボン市クダマティ地区などで南マルク共和国旗掲揚をくりかえした。指導者A.マヌプッティは懲役3年の判決が確定した後、合衆国に事実上亡命した。一般に彼らは和解を妨げる分離主義とみなされてきたが、その運動はおおむね非暴力原則を貫き、インドネシア共和国政府と国際社会に対して、先住民=アリフルとしての権利を主張することで、侵略者を排除しようとするもので、一定の成果をあげたと言える。一方ペラ再編運動は地域社会の融和と団結を強化して、紛争を沈静化させたが、同時に非「アンボン人」排除など、あらたな問題を生じさせている。」


2016年度第2回関東例会(5月14日)

2016年度第2回関東例会を5月14日(土)に開催いたします。

多くの方のご参加をお待ちしております。

日時:2016年5月14日(土)(13:30~17:45)

会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室
(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

☆第1報告(13:30~15:30)

報告者 :間瀬朋子(東洋大学)

報告題目 :「ジャワ汽水養殖池地域の社会経済――環境悪化下での地主、小作人、地域社会の駆け引きを中心に」

コメンテイター:長津一史(東洋大学)

要旨:
 本発表は、東ジャワ州シドアルジョ県沿岸部の汽水養殖池地域で養殖業に関わる各種アクターの社会経済的な役割や位置づけを示し、そこに展開する社会階層や社会関係を説明するものである。生産物の分配のほか、生産費用の分担に留意しながら、養殖池の経営者である池主とその下でエビやミルクフィッシュを育てる小作人との関係性にとくに着目する。さらに、生産物の再分配慣行であるブリを手がかりにして、池主や小作人と地域住民とのあいだの関係性についても考察を加える。
 ともに苦しい経済状況下で、池主と小作人は互いの利益をめぐって葛藤を持ちつつ、現状を維持するための駆け引きをしている。そこにブリを介して関わってくる「厄介な」他者(地域住民)がいる。それらのバランスをとることにより、経済的にも自然生態的にも厳しい環境に向き合わねばならない養殖池地域の社会経済が一応は成り立っている。

☆第2報告(15:45-17:45)

報告者:深見純生(無所属)・田畑幸嗣(早稲田大学)

報告題目:「東南アジア古代史(7~10世紀)ウェブ版詳細年表の公表と今後の利用」

コメンテイター:奥平龍二(東京外国語大学名誉教授)・淺湫毅(京都国立博物館)

要旨:
 東南アジア古代史科研(2013~2015年度、代表者深見)では建築史・美術史・考古学の編年の統合および文字史料(漢籍・刻文)による絶対年代と建築史・美術史・考古学の相対年代の統合をめざして活動してきた。この目標は未達であるが、そのための土台として紙版報告書において重要事項年表を作成したほか、たいへん詳細なウェブ版年表を作成した。具体的には約60列、約800行、細胞数5万近い巨大なエクセルシートであり、そこには漢籍の原文、刻文の地域(言語圏ないし歴史圏)ごとの悉皆リスト、建築・美術・考古の諸項目が含まれている。
 この例会ではウェブ版年表の一般公開にあわせて、その内容を説明し、多くの方々の利用を促すとともに、今後の改良と充実のために関心ある方々からの意見を頂戴したい。


例会終了後、18時から19時頃まで、同じ会場で懇親会を予定しております。
ご不明な点などございましたら、関東例会委員(kanto-reikai@tufs.ac.jp)までご連絡ください。

関東例会委員

2016年度第1回関東例会(4月)

2016年度第1回関東例会(4月16日)を開催いたします。

多くの方のご参加をお待ちしております。

2016年度第1回関東例会(4月16日)

日時:2016年4月16日(土)(13:30~17:45)
会場:東京外国語大学 本郷サテライト3階セミナー室
第1回関東例会(4月16日)のみ3階セミナー室です。
第2回以降は5階セミナー室です。
(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

☆第1報告(13:30~15:30)
報告者 :宮田敏之(東京外国語大学)
報告題目 :「20世紀初頭のシャム土地法制定に関する一考察」
コメンテーター :島田竜登(東京大学)
要旨:19世紀後半以降、米の海外需要の拡大に対応する形で、シャムでは、チャオプラヤー川流域のデルタを中心に米生産が拡大した。しかし、この時期、シャム政府内で議論されたものの、稲作地の土地所有権を規定する土地法の整備は遅れた。米輸出の著しい発展を支えたチャオプラヤー・デルタでは土地法が十分に整備されなかったため、土地所有権が「曖昧」なままになっていた。その結果、逆に、チャオプラヤー・デルタでは、大土地所有が拡大しなかったといわれる。メコンデルタなどのように、大土地所有制が発展した東南アジアの他地域とは大きく異なる。なぜ、この時期のシャムでは、土地法の整備が遅れたのであろうか?これらの問題に関し、トーマス・ラールソン(Tomas Larsson2012)は、土地法整備の遅れ自体、ラーマ5世を中心とするシャム政府側が、意図的におこなったものであると評価している。ラールソンによれば、土地所有権の「曖昧さ」は、予算や人材の不足が原因であったばかりでなく、むしろ、国王ラーマ5世が、積極的に、外国資本(欧米人および英国籍・仏国籍のアジア人)の土地集積を防ぎ、王権とシャムの主権を守ろうとした、一つの「武器」であったという。本報告は、ラールソンの指摘するようにラーマ5世の外交的戦略があったにせよ、実際には、1901年に土地法が制定されたことに着目する。特に、この土地法に基づき土地所有者に配布された「地図付き地券」を作成するために重要な役割を果たした「地図局(Royal Survey Department)」に注目し、同局の地図作製業務と20世紀初頭の土地法成立の関係を考えたい。

☆第2報告(15:45-17:45)
報告者:高田洋子(敬愛大学)
報告題目:「ベトナム領メコンデルタにおける大土地所有制の成立と崩壊に関する一考察」
コメンテーター:高橋塁(東海大学)
要旨:『メコンデルタの大土地所有 ─無主の土地から多民族社会へフランス植民地主義の80年─』の刊行から2年が経ち、様々な分野や地域の研究者から貴重なご指摘やコメントを頂くことができた。そうした対話を重視し、改めて著者の問題意識・研究方法・やり残した課題・今後の展望などを報告する。著書の続編として、独立戦争からベトナム共和国期の資料を利用し、崩壊前夜の大土地所有の実態についても再構築を試みる。


例会終了後、18時から19時頃まで、同じ会場で懇親会を予定しております。

ご不明な点などございましたら、関東例会委員(kanto-reikai@tufs.ac.jp)までご連絡ください。

関東例会委員

2016年度関東例会発表報告者募集

東南アジア学会会員のみなさま

今年度も東南アジア学会関東例会をよろしくお願いします。

さて、関東例会では下記のとおり、2016年度の報告者を募集いたします。
多くの方々のご応募をお待ちしています。
特に締め切りは設定していませんが、早目の申し込みをお願いいたします。

■2016年度東南アジア学会関東例会報告者募集

・関東例会では、コメントと質疑応答の時間を含め、各報告者に2時間という長い持ち時間が与えられます。
討論内容は記録され、後日、関東例会のウェブサイトに掲載されます。
ご自身の研究のアピールの場として、また多様な関心を持つ研究者からコメントやアドバイスを受ける場として、
この貴重な機会をご活用ください。

・報告者は東南アジア学会会員に限定いたします。
コメンテーターは学会員である必要はありませんが、報告者ご自身で依頼していただくようお願いします。
(どうしても探せない場合は担当理事までご相談ください)

・これまでの報告事例については関東例会ウェブサイトをご覧ください。

http://kantoreikai.blog.fc2.com/

■2016年度の関東例会 開催日程

2016年(平成28年)
第1回2016年4月16日(土)
第2回2016年5月14日(土)
第3回2016年6月25日(土)
第4回2016年10月22日(土)
第5回2016年11月26日(土)

2017年(平成29年)
第6回2017年1月28日(土)

毎回13時30分開会、17時45分閉会。1回につき2報告

■会場

・東京外国語大学・本郷サテライトです。
・第1回4月例会2015年4月16日(土)のみ3階セミナー室です。他の回はすべて5階セミナー室を使用します。
・住所:〒113-0033東京都文京区本郷2-14-10
・TEL&FAX:03-5805-3254
・アクセス:地下鉄(丸ノ内線・大江戸線)本郷三丁目駅下車徒歩5分
・会場へのアクセスは以下をご参照ください。
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

■報告・コメント・討論の時間
・報告者は1回につき2名、途中に休憩をはさんで、それぞれ報告60分、コメンテーターによるコメント10分、フロアからの質問と討論50分を予定しています。

■応募方法
・関東例会で報告を希望される方は、関東例会連絡用アドレスの東南アジア学会関東地区担当・宮田敏之まで、下記の情報を明記して電子メールでお申し込みください。

関東例会連絡用アドレス:kanto-reikai@tufs.ac.jp

<記載情報>

・氏名と所属
・発表を希望する日を第2希望まで
・報告題目(仮題目可)および報告要旨(300~400字)
・コメンテーター(氏名、所属、メールアドレス)
・報告記録者(氏名、所属、メールアドレス)
・希望する使用機器(Windowsノートパソコン、プロジェクター、レーザーポインターのご用意が可能です。その他の機材についてはご相談ください。)

■応募の取り扱い
・報告要旨を読んだうえで判断させていただきます。例会の運営上、報告の可否、報告の日程についてご希望に添えない場合があります。また、要旨については書き直しをお願いする場合もあります。ご了承ください。
・グループによる申請(ミニ・シンポなど)も受け付けていますのでご相談ください。

■報告記録
・関東例会では、例会の報告記録を、関東例会ウェブサイトに掲載しています。
 これは、コメンテーターからのコメント、質疑応答のポイント、今後の課題等について、1200字から1500字程度でまとめたものです。
・報告記録は、報告者ご自身でまとめていただくか、あるいは報告者ご自身で報告記録者を選びご依頼いただくようお願いいたします。

■懇親会
・例会終了後、簡単な懇親会を開催いたします。

■関東例会ウェブサイト
・関東例会のお知らせ、予定、報告記録を随時掲載しています。ご活用ください。
http://kantoreikai.blog.fc2.com/

■問い合わせ
・宮田敏之(関東例会担当、東京外国語大学) tmiyata☆tufs.ac.jp
・関東例会委員
kanto-reikai☆tufs.ac.jp
(☆マークは@に変えてください)

2015年度第6回関東例会(1月23日)議事録

2016年1月23日に行われました2015年度第6回関東例会の議事録を掲載いたします。

第一報告(13:30~15:30)
報告者 : 下條尚志 (京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 研究員)
報告題目 : 脱植民地化過程のメコンデルタにおけるクメール人の言語・仏教・帰属
コメンテーター : 五島文雄(静岡県立大学国際関係学部国際言語文化学科・教授)

■コメント
①国民国家形成と公教育
本発表では、植民地国家から国民国家への移行過程、新興国家による国民統合と国家形成、国語教育という文脈のなかで、ベトナム―カンボジア国境線や、ベトナム、カンボジアの公教育の問題が論じられた。植民地末期からゴー・ディン・ジエム政権期初期に実施されていたクメール語の公教育は、教科書やカリキュラムの内容など、具体的にはどのようなものであったか。シハヌーク時代に実施された教育、特に歴史教育は、1970年代後半のポル・ポト政権に影響を与えたのではないか。

②国民統合のなかでの少数民族政策
本発表では、国民統合の過程で、新興国家によってどのような少数民族政策が実施されるのかという問題が、メコンデルタのクメール人を対象に議論された。この議論は、ベトナムや他の東南アジア諸国における華僑・華人政策、またカンボジアのベトナム人政策、さらには各国の少数民族政策と比較することが可能である。国家が、中華会館のような特定のエスニシティの集会所をどう扱ってきたのか、特定のエスニシティを対象とした学校ではいかなる言語・歴史教育が行われてきたのかなど、比較の観点から論じることが重要である。東南アジアの華僑・華人の国籍問題では、かれらが概して経済的に豊かであるため、その職業が問題視されたが、メコンデルタのクメール人はどうであったのか。

③南北分断状況下での少数民族政策
本発表では、クメール人が、ジエム政権下仏教界の動きに呼応する形で、南ベトナム解放民族戦線(以下、解放戦線)に参加していたことが指摘されている。解放戦線はクメール人に対していかなる政策を実施していたのか。なぜ、インフォーマント達が解放戦線に参加することになったのか。当時の北ベトナム(ベトナム民主共和国)は、中華人民共和国との関係性のなかで少数民族政策を策定しており、南ベトナムのゴー・ディン・ジエム政権の少数民族政策について、文化を尊重していないなどと批判していた。

④先行研究のなかでの本発表の位置づけ
先行研究との対比のなかで、自身の立場や主張をより明確にする必要がある。今後は研究をどのように発展させていくのか。

■コメントへの応答
①への返答:植民地期末期からジエム政権期初期、メコンデルタのクメール人を対象としていた公教育の教科書、カリキュラムについて、まだ十分に研究が進んでいない。今後の課題としたい。発表者は、当時実施されていた歴史教育が、後のポル・ポト政権に強く影響を与えたと考えている。
②への返答:クメール人や華僑・華人の国家への帰属が、仏領期において曖昧な状態にあったことが、国民国家成立初期の1950年代、1960年代に問題として表出したと考えている。
ベトナムにおけるクメール人の問題は、常にかれらとカンボジアという国民国家との関係性のなかで展開されてきた。そのため、クメール人問題を、ベトナムの少数民族問題として扱うことには疑問を感じる。クメール人問題は、いずれの国民国家に帰属するのかが問題にされてきた点で、華僑・華人問題との比較がより有効である。ただし、ジエム政権期の国籍変更問題において、精米業、米取引業など商業に従事していた華僑・華人と異なり、農業従事者が多かったクメール人の職業は、政治争点にならなかったと考える。
③への返答:解放戦線は、毎年行われるクメール人の祭祀の折に、兵士に休暇を与えるなど、クメール人の文化や宗教を尊重する姿勢をアピールし、支持を拡大しようとしていた。また上座仏教寺院に解放戦線兵士を僧侶として紛れ込ませ、活動させていた。
④への返答:先行研究では、1950年代、1960年代にベトナム南部で拡がっていった反乱の要因を、革命勢力側(解放戦線)の住民動員戦略という観点から説明する傾向があった。一方で本発表では、住民達の視点に着目し、国民国家成立初期のジエム政権による国境管理にともなう宗教、空間認識、移動傾向の変化に一部の住民が敏感に反応したことが、反乱が拡がっていた1つの要因であったと指摘した。

■質疑応答
Q本発表で取り上げられた村落の位置するソクチャン省の状況は、時代、地域によって大きく異なる。対象村落の状況を全体のなかに位置づける必要があるのではないか。本発表は仏領時代から南ベトナム時代までの時期が議論されているが、対象とする時間が長すぎるのではないか。
A調査対象とした村落の状況は特殊であり、メコンデルタの全体状況を示しているわけではない。発表者は、1つの地域社会で生じたローカルな歴史を詳細に明らかにした上で、今後の課題として、その地域社会の歴史的事象を全体のなかで俯瞰的に捉え直していきたいと考えている。

Q「空間認識」という言葉は曖昧なのではないか。
A「空間認識」は、人々の地理的感覚を意味している。対象村落の人々が想像できる地理的空間認識は、ベトナムではせいぜいサイゴンやニャチャンまでだが、カンボジアにおいては、タイ国境のプレア・ヴィヒア問題が意識されるなど、広範囲に及んでいる。

Qメコンデルタのクメール人と解放戦線の関係は必ずしも良好ではなかったのではないか。
A実際、調査地で解放戦線に参加したクメール人は少数である。にもかかわらず、本発表で解放戦線に参加したクメール人の個人史を敢えて取り上げたのは、エスニシティのみならず、宗教、国家への帰属意識、また地域、時期など様々な要素の組み合わせのなかで、当時の人々が、所属する政治組織を選択していたことを示したかったためである。

Qジエム政権の政策立案にソクチャン出身のクメール人がいかに関わっていたのか。
Aコーチシナ・カンボジア協会の有力者ソン・ターイ・グエン(ソン・ゴック・タンの実弟)が当初は政策立案に関わっていたが、ジエム政権崩壊直前には反ジエムを掲げた仏教運動に身を投じていた。

Qベトナムのクメール人は、かれらのアイデンティティをどのように維持しているのか。
A調査村ではクメール人と名乗る人々が多いが、実際にはベト人や華人との混血など、民族間の混淆が進んでいる。民族的境界は曖昧であり、揺らぎやすい。ただし、人々は、ラジオやテレビなどを通じて、カンボジアの情報を積極的に取り入れており、これがアイデンティティの維持につながっていると思われる。

Qフランス植民地期、カンボジアのモニボン王の写真がコーチシナのクメール人に配布されたという事実があるが、実際に現地でモニボン王の写真を所持している人がいたか。
A調査対象のなかには、写真を所持している人はいなかった。

Q仏領期末期からジエム政権期初期において、カンボジアに渡っていた人達は、パスポートを所持していたのか。
Aパスポートを所持せず、カンボジアへ渡った人がほとんどであると考えられる。聞き取りによれば、当時、ソクチャン市のコーチシナ・カンボジア協会において、カンボジアへの渡航許可証が交付されていたという。

Qレジュメに記載されている“「クメール系ベト人」という微妙なカテゴリー”とはどのような意味か。
⇒南ベトナム政府期、クメール人を、中部高原地域の山地民やチャム人と同様に少数民族政策の対象とすることは、クメール人がカンボジア人であることを認めることにつながり、ベトナムの政治がカンボジアの干渉を受けることになると考えられていた。そのため、当時の政府は「クメール系ベト人」というカテゴリーを設けて、かれらがベトナム国籍者であることを強調し、敢えてクメール人を少数民族とみなさなかった。
(文責:下條尚志)


第二報告(15:45~17:45)
渋谷節子(星槎大学教授)
報告題目:ベトナム•メコンデルタの都市で働く若者と農村の家族
コメンテーター:古屋博子(放送大学非常勤講師)

■コメント
この10年間でベトナム南部、特にメコンデルタの社会は急激に変化した。その間の変化に関する研究は貴重であろう。以下の点を、今後の議論と研究を発展させる上で考えると良いのではないか。①中国と異なり、メコンデルタでは近代化が進んでも家族の絆が弱まらない要因はなんであろうか。②新しくできた同僚や友人との関係が、共同体意識を生み出しているような側面はあるか。③同僚や友人との関係が、家族との関係や価値観と対立するような聴講はあるか。④都市へのネットワークを持たない層の不満というのは共有されているのか。⑤都市へのネットワークを持っているそうの不満というのは共有されているのか。(コメンテーターのホーチミン市における調査では、「新中間層」と言えるような比較的裕福な人々が不満を持っていることがわかってる。)

■質疑応答
1)「近代化」という言葉をどう使っているのか。
回答:たしかに、「近代化」というのは長い歴史のなかで起きているものであり、現在に限定されているものではない。この報告ではベトナムの人々がよく使う言葉「モデン」を「近代」という言葉に置き換えている。
2)1990年代の後半からの変化ということでの報告であったが、1990年代がむしろ特殊な時代であり、現在は伝統的な家族に戻ったのだとも言えるのではないか。
回答:そういう側面はあると思う。1990年代後半は、自由市場経済化の元で農業の生産単位が家族に戻され、「家族」の重要性が国家を挙げて言われた時代である。しかし、メコンデルタでは社会主義の集団農場はあまり浸透しておらず、その意味では、社会主義の影響は少なかったと言える。
3)ベトナムのメコンデルタの農村で起こっていることは、東南アジアのどこででも起こっていることではないのか。特殊性は何なのか。
回答:それは、メコンデルタの共同体意識の低さと家族の重要性である。ベトナム南部の人々にとって、家族は小宇宙であり、社会とはっきりと区別して考えられる一つの世界である。
4)データの提示がない。
回答:文化人類学におけるデータは「民族誌的データ」であり、それは参与観察に基づいて得られるものである。世帯調査などのデータは使用するが、それらは背景理解のために使用している。
5)報告の中心的テーマは何か。
中心的テーマは都市で働く若者が家族にもたらす影響や変化である。本日の報告に含めた格差などの問題は、それに付随して起こっていることとして紹介した。
(文責:渋谷節子)
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