東南アジア学会会員の皆様
関東例会5月例会(5月26日開催)の案内をお送り致します。
今回は、大橋厚子会員の発案による「「銀の時代の終焉」と東南アジア―19世紀のビルマとベトナムの貨幣制度から―」と題したシンポジウム形式で開催致します。
シンポジウムの趣旨とプログラムの詳細は以下の通りです。
多くの方々のご来場をお待ちしております。
<2012年度5月例会>
日時: 2012年5月26日(土)13:30~17:45
会場: 東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html
シンポジウム:「銀の時代の終焉」と東南アジア―19世紀のビルマとベトナムの貨幣制度から―
発案者:大橋厚子(名古屋大学大学院国際開発研究科准教授)
<趣旨>
19世紀は近世諸帝国が消滅しイギリス帝国が覇権を握る時期と見なされている。その一方で19世紀には1810年代から40年代、1870年代から90年代に英米で不況が観測されたほか、銀本位制から金本位制への以降、さらに気候変動が世界各地で見られた。このようなグローバルな環境変化のなかで東南アジアでは何が起き、どのような対応がなされたのであろうか。東南アジア史研究において19世紀初めから中葉までは、従来、本格的に研究されることの少ない時代であった。このシンポジウムでは、なかでも研究が少ない北ベトナム、ビルマを主要な対象とし、社会経済の変化および政権の対応を、貨幣制度を中心に考察する。さらに比較と関連の手法を駆使しつつ当該期東南アジアの変化の構図を描くこと、およびその構図をより広域の空間における事象と関わらせることが本シンポジウムの目的である。
プログラム
13:30-13:45 趣旨説明 大橋厚子(名古屋大学大学院国際開発研究科准教授)
13:50-14:40 「コンバウン期ビルマの貨幣制度と改革:18世紀末から19世紀中葉まで」斎藤照子(東京学国語大学名誉教授)
14:40-14:50 質疑応答
14:50-15:10 休憩
15:10-16:00 「19世紀ベトナムにおける銀流通の構造と変容-阮朝の成立からピアストル本位制の確立まで」多賀良寛(大阪大学博士課程後期)
16:00-16:10 質疑応答
16:10-16:25 休憩
16:25-16:35 斎藤・多賀発表に対するコメント 大橋厚子
16:40-17:45 総合討論
なお、懇親会にはLi Tana先生(オーストラリア国立大学)がおいでになる予定です。
多くの方々のご来場をお待ちしております。
東南アジア学会会員の皆様
今年度も前年度に引き続き、東京外国語大学の青山が、東南アジア学会関東担当理事として関東例会の開催を担当致します。
例会委員として活動する院生ともどもよろしくお願いします。
2012年度関東例会4月例会(4月28日開催)のご案内を致します。
今回は、荒哲会員による「日本占領下のフィリピン・レイテ島における対日協力と抗日ゲリラ戦との相克」、及び
盛田茂会員による「ケルビン・トン監督のホラー映画『The Maid』が浮き彫りにするシンガポールの一側面」の2報告です。
詳細は下記をご覧下さい。多くの方々のご来場をお待ちしております。
<2012年度4月例会>
日時: 2012年4月28日(土)13:30~17:45
会場: 東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html
☆ 第一報告(13時30分~15時30分)
報告者:荒哲氏(福島大学非常勤講師)
コメンテーター:岡田泰平先生(成蹊大学文学部助教)
報告題:「日本占領下のフィリピン・レイテ島における対日協力と抗日ゲリラ戦との相克」
<報告要旨>
かつて太平洋戦争時の日米決戦の場として余りにも有名なフィリピン・レイテ島で展開された日本占領については、不思議なことに従来からほとんど研究されていません。この研究では、レイテ島が占領日本軍にとってそれほど戦略的重大性がなかった時期(1942年5月~1943年11月頃)、来るべき米軍との決戦に備えた時期(1943年11月~1944年10月)、そして米軍上陸後(1944年10月以降)の三つの時期区分においてエリートを中心とする現地住民がどのように駐留日本軍に協力あるいは抵抗し、そしてその日本占領がレイテ島にどのような政治的影響力を与えたかについて分析します。
☆第二報告(15時45分~17時45分)
報告者:盛田茂氏(立教大学アジア地域研究所研究員)
コメンテーター:未定
報告題:「ケルビン・トン監督のホラー映画『The Maid』が浮き彫りにするシンガポールの一側面」
<報告要旨>
ケルビン・トン監督は、同国を代表するエリック・クー、ロイストン・タン、ジャック・ネオ監督と並び、継続的に長編映画を制作している一人である。本発表は、同監督のホラー映画『The Maid(女佣)』(05年)から浮き彫りにされる、豊かでクリーンな同国のイメージとは別の側面について、以下の2点に焦点を絞り考察する事を目的とする。なお、華人社会の伝統的宗教儀礼(鬼節、冥婚)を背景に、差別・抑圧されるフィリピン人メイドを描いた本作は、メディア開発庁、レインツリー社、及び香港のDream Movie Entertainment社、フィリピンのMovPix International 社の共同出資作品である。
1、同国の宗教政策、メイド・アビューズをキーワードとして、同監督は本作を如何なる問題意識をもって制作したか。
2、政府の海外共同制作推進政策に則りながらも、同監督は如何なる現実主義的抵抗/相互依存関係を構築しようとしているか。
また、以下に今後の例会の日程を提示しておきます。
■ 2012年度の例会 開催日時(1回につき2報告)
・第2回 2012年5月26日(土) 13時30分~17時45分
・第3回 6月23日(土) 13時30分~17時45分
・第4回 10月27日(土) 13時30分~17時45分
・第5回 11月24日(土) 13時30分~17時45分
・第6回 2013年1月26日(土) 13時30分~17時45分
なお、このうち5月の関東例会は、すでに報告の予定が入っておりますが、6月の関東例会はまだ報告者が決まっておりません。
関東例会における報告のお申し込みは、随時受け付けております。皆様のご応募をお待ちしております。
報告のお申し込みは、下記アドレスまでメールでお願い致します。
青山 亨(東南アジア学会理事・関東地区担当、東京外国語大学東南アジア課程)taoyama@tufs.ac.jp
田中浩典・平田晶子・寺井淳一(関東例会委員、東京外国語大学院生) kanto-reikai@tufs.ac.jp
東南アジア学会会員のみなさま
今年度から引き続き、東京外国語大学の青山が、東南アジア学会関東担当理事として来年度の関東例会の開催を担当することになりました。
例会委員として活動する院生ともどもよろしくお願いします。
さっそくですが、関東例会では下記のとおり、2012年度の報告者を募集いたします。
多くの方々のご応募をお待ちいたします。特に締め切りは設定しませんが、早目の申し込みをお願い申し上げます。
■ 2012年度東南アジア学会関東例会報告者募集
関東例会では、コメントと質疑応答の時間を含め、各報告者に2時間という長い持ち時間が与えられます。
討論内容は記録され、後日、関東例会のウェブサイトに掲載されます。
ご自身の研究のアピールの場として、また多様な関心を持つ研究者からコメントやアドバイスを受ける場として、
この貴重な機会をご活用ください。報告者は東南アジア学会会員に限定いたします。
コメンテーターは学会員である必要はありませんが、報告者者ご自身から依頼していただくようお願いします(どうしても探せない場合は担当理事までご相談ください)。
■ 2012年度の例会 開催日時(1回につき2報告)
・第1回 2012年4月28日(土) 13時30分~17時45分
・第2回 5月26日(土) 13時30分~17時45分
・第3回 6月23日(土) 13時30分~17時45分
・第4回 10月27日(土) 13時30分~17時45分
・第5回 11月24日(土) 13時30分~17時45分
・第6回 2013年1月26日(土) 13時30分~17時45分
■ 会場
東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペースを使用いたします。
住所 〒113-0033東京都文京区本郷2-14-10
TEL&FAX 03-5805-3254
会場へのアクセスは以下をご参照ください
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html
■ 報告・コメント・討論の時間
報告者は1回につき2名、それぞれ報告60分・コメンテーターによるコメント10分・ フロアからの質問と討論50分です。
■ 応募方法
関東例会で報告を希望される方は、関東例会連絡用アドレスの東南アジア学会理事(関東地区担当)青山亨まで、下記の情報を明記して電子メールでお申し込みください。
・記載情報
氏名 所属 発表をを希望する日(例:第1回、4月28日)*第2希望までお書きください
報告題目(仮題目可) 報告の要旨(300~400字) コメンテーター(氏名、所属、メールアドレス)
報告記録者(氏名、所属、メールアドレス) 希望する使用機器(例・パワーポイント)
・関東例会連絡用アドレス kanto-reikai@tufs.ac.jp
■ 応募の取り扱いなど
例会の運営上、報告の可否、報告の日程についてご希望に添えない場合にはご相談させていただくことがあります。ご了承ください。グループによる申請も受け付けていますのでご相談ください。
■ 報告記録
関東例会では、例会の報告記録を、関東例会ウェブサイトに掲載しています。
これは、コメンテーターからのコメント、質疑応答のポイント、今後の課題等について、1200字から1500字程度でまとめたものです。
報告記録は、報告者ご自身でまとめて頂くか、あるいは報告者ご自身で報告記録者を選びご依頼頂くようお願いいたします。
■ そのほかのお問い合わせも電子メールでお願いいたします。
青山 亨(東南アジア学会理事・関東地区担当、東京外国語大学東南アジア課程)taoyama@tufs.ac.jp
田中浩典・平田晶子・寺井淳一・生駒美樹(関東例会委員、東京外国語大学院生) kanto-reikai@tufs.ac.jp
1月28日(土)に行われた2011年度第6回関東例会(@東京外国語大学本郷サテライト)の議事録データをアップします。
東南アジア学会関東例会討論部分の議事録
東南アジア学会関東例会
日時場所:2012年1月28日(土)13:30~15:30 東京外国語大学本郷サテライト5階
報告者: 関本紀子氏(日本学術振興会特別研究員PD)
報告題:「植民地期におけるベトナム度量衡統一政策の進展と地域性」
コメンテーター:桜井由躬雄先生
桜井先生のコメント:
度量衡というのは社会経済史や人間の生活史を研究する上で基礎の基礎となるものである。しかしながら、その研究方法はいまだ確立されておらず、これまで着手しようとする研究者も少なかった。よって、関本さんの研究は大変重要なファーストステップである。
度量衡には「文明としてのはかり」と「文化としてのはかり」の二つの問題がある。文明としてのはかりとは、フランスが導入を推し進めたメートル法のことである。それは「人工物は最終的には自然の哲理と一致する」という文明論に基づいており、1メートルは地球の子午線の1千万分の1と定められている。メートル法が国際的に普及した要因として、貿易単位として用いられたこと、また、物理学の単位として用いられたことが挙げられる。しかし、その導入時期には地域的な偏差がある。世界的にみると、1903年から1927年までのインドシナにおいてフランスの理事長官がメートル法を定着させようとしていたことは、むしろ先進的な試みであったと言えるかもしれない。
メートル法に関する年表
1795年:フランス、メートル法の施行
1816年:イタリア、メートル法導入
1821年:オランダ、メートル法導入
1840年:フランス、メートル法の強制使用
1872年:メートル原器の制定
1875年:パリにおいてメートル条約締結
(イギリスは加盟せず。アメリカとロシアは加盟したが実際には導入せず)
1885年:日本、メートル条約加盟
1912年:タイ、メートル条約加盟
1959年:韓国、メートル条約加盟
1960年:インドネシア、メートル条約加盟
1977年:中国、メートル条約加盟
一方、「文化としてのはかり」とは身体尺のことである。古く中国では1尺とは親指から中指までの長さのことを表していた。身体と結び付いた「文化としてのはかり」を変更することは、ベトナムだけではなく、日本においても困難を伴った。明治政府は1885年と比較的早くにメートル法を導入し、既存の尺貫法をメートル法で置き換えて国際標準化を図った。例えば、曲尺の1尺が30センチ、1里と4キロメートル、4斗と60キログラムと1ピクルがほぼ等しいことに目を付け、メートルに換算しやすい公定尺度を設定した。しかし、実生活においては長い間尺貫法を通じてメートル法を理解する二重構造となっていた。例えば、1952年まで牛肉は100匁(375グラム)、酒や牛乳は1合(約180cc)を単位として売り買いしていたし、52年以降、しばらくの間、375グラム(100匁)という表記が普通だった。我々はいまだに4畳半や6畳、一坪といった表現を用い、実際の建築モデュールも旧来の3尺、1間を基準としている。よって日本は旧来の尺貫法、つまり文化への愛着が強いと言える。一方ベトナムでは、部屋の広さに言及する時には三間屋、五間屋といった表現から、革命後は平米基準に切り替わっている。その点でもベトナムは文明的であると言えるだろう。
1900年代初頭から、フランスの理事長官は南部においてメートル法を強制した。なぜならば、南部の米は国際商品であり、パリ市場に出荷するためには国際規格に統一する必要があったからである。結果的にベトナム南部にはコン(1000平米)やマオ(1ヘクタール)というメートル法に準拠した面積単位が一般化した。一方北部において米は地域商品であったので、単位も文化的なもので十分だった。さらにベトナム北部は、南部と比較して経済的価値があまり高くなかったので、フランス政府は北部におけるあらゆる政策の実施に積極的ではなかった。このように、その当時の政府や地主、精米業者にとっての米、そして面積の意味はベトナム南北でそれぞれ異なっていた。それにより、文明単位と文化単位の捉え方も違ったはずである。
最後に、重さ・長さ・面積はそれぞれはかる目的が異なる。それによって政府の干渉や農民の反対の程度にも違いが出る。よって、今後は地域・目的・年代別に分類したデータベースを作成し、度量衡を通じたフランスの植民政策の解明を目指してほしい。
発表者の回答:
日本をはじめ、世界のその他の地域と比較してインドシナの度量衡がどうであったかという視点、また、度・量・衡をそれぞれはかる目的によって分類するという視点が欠けていたと思う。認識を新たにし、今後もデータベースの作成を進めたい。
細淵さん(東京外国語大学)の質問:
ベトナムの伝統的単位の具体例を教えてほしい。
発表者の回答:
布の幅をはかる弓型のものさしトゥォック・バーイ、屋根の角度を測る三角形の建築用定規、容積をはかるお椀、少数民族が蒔く種の量で面積を計っていた例などがある。
高橋さん(大正大学)の質問:
ベトナムにおいてメートル法への改革が困難であったことは、当時の学校教育制度やその地域差と関連があるのか。
発表者の回答:
各省はまずはフランス・アンナン学校でメートル法を普及させ、それからベトナム式の学校にも拡大しようと考えていたようだ。
菊池先生(東京外国語大学)のコメント:
フランスは経済的利益の見込めない植民地にはあまり積極的な政策をとらなかった。ベトナムでそうならば、ラオスはなおさらそうであろう。
北川さん(東京大学)のコメント:
① フランス・カンボジア学校では1908年の時点で教育の成果をはかるのに、フランス語の習熟度とメートル法・十進法の習熟度を用いていた。ベトナムでもメートル法・十進法は教育のプログラムに組み込まれていたのか。
② 1910年代のカンボジアの土地訴訟の公的資料においては、地図上の距離はメートル法のみで記されている。カンボジアでは教育を通じてメートル法が急速に普及したようだが、ベトナムとの違いは何であろうか。
発表者の回答:
ベトナムではメートル法・十進法について教えてられる教師が不足していたため、インストラクターを学校や市場に派遣しようとしていた。また、既存の単位と対応させたテキストも未整備であったと考えられる。
桜井先生のコメント:
中国をはじめとする東アジア諸国では、土地の測量技術が発達していた。この影響を受けて、ベトナムの丈量技術も高かった。しかし、ラオスやカンボジアはこの文化圏ではなく、固有の尺度があまり発達していなかったために、メートル法が浸透しやすかったのではないか。
小川さんのコメント:
ベトナム北部と南部を比較すると、南部の方がカンボジアに近い状況で、メートル法が浸透していた可能性があると思う。
(文責:東京大学大学院 安達 真弓)
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日時:1月28日(土)15:45~17:45
報告者:久保真紀子氏 (日本学術振興会特別研究員)
報告題:「プレア・カーン(アンコール)における出入口装飾の主題とその配置構成について」
コメンテーター:浅井和春先生(青山学院大学文学部史学科)
【報告要旨】
プレア・カーンはアンコール・トムの北側に位置し、ジャヤヴァルマン7世の統治期間(1181年‐13世紀初)の主要寺院建築の一つである。創建以降も数回の増築が行われ、段階的に伽藍が形成されたことが知られるが、本報告では建造過程における最初期に焦点を当てる。この寺院からは創建時に奉納された石柱碑文(K.908)が発見されており、伽藍内の各施設に祀られた彫像の神格や数に関する記述が見られる。この碑文は、今日失われた丸彫り像が特定の場所に意図的に配置されていたことを示す興味深いものである。本報告では碑文から知られる創建当時に祀られていた彫像の神格を同定すべく、建物の出入口装飾に表わされた主題に着目する。そしてそれらの伽藍内における配置構成について考察し、石柱碑文の記述内容との整合性を検証する。
まず中央祠堂の周りから第二周壁内側のエリアの出入口装飾には、観世音菩薩や禅定印を結ぶ仏陀坐像、ジャータカなどの仏教を主題とする浮彫が主に見られる。これらは中央祠堂にJayavarmeśvaraという名の観世音菩薩像が安置されていたと記す石柱碑文の記述と一致する。だが浮彫装飾の中にはヒンドゥー教主題のものも確認され、碑文にも観世音菩薩を中心に283の神々が祀られていたと記されていることから、仏教関係だけでなくヒンドゥー教も含めた様々な神々が祀られていた可能性がある。
次に第二周壁のうち、創建時に建造された東楼門主室に目を転ずると、仏陀坐像やジャータカの場面の浮彫が見られる。石柱碑文によるとこの場所にはTribhuvanavarmeśvaraが祀られたとされており、ジャヤヴァルマン7世の前任者の王トリブヴァナーディティヤヴァルマンを表わすと考えられる。
続いて南、西、北側にある副次的伽藍を見てゆくが、これらは回廊に囲まれた中央祠堂を有する。まず南側副次的伽藍は保存状態が悪く装飾があまり現存していないが、わずかに仏陀坐像を表わす浮彫が確認される。石柱碑文にはここにYaśovarmeśvaraをはじめとする32の神々が祀られたと記されている。また、出入口枠に刻まれた古クメール語の碑文にはDharaṇīndradevaやYaśovarmeśvaraなど、ジャヤヴァルマン7世以前の王の名前をもとにした神々の名が書かれている。
西側副次的伽藍ではヴィシュヌ神話に関する浮彫が多く見られる。施設出入口に刻まれた碑文にはGaruḍavāhanaやNārāyaṇaといったヴィシュヌ神の別名が記されている。また石柱碑文にはヴィシュヌ神を示すとされるCāmpeśvaraの名が見え、この神をはじめとする30の神々が祀られていたという。
北側副次的伽藍に関しては、石柱碑文にシヴァ神の象徴とされるŚivapādaをはじめとする40の神々が祀られていたと記されている。一方出入口装飾に見える浮彫は、シヴァ神に関するもの以外にヴィシュヌ神を主題とするものや、『ラーマーヤナ』の場面を表わすものが見られる。
以上、石柱碑文の神格配置と出入口装飾の配置を比較すると、中央は仏教、西はヴィシュヌ、北はシヴァという主題がおおまかに共通するが、南と東に関しては石柱碑文に記された神格とは直接結びつかないものを浮彫の主題としていることが分かった。これらは創建当時の伽藍に祀られた神々を具体的に示すものであり、当時の伽藍に表現された世界観をより詳しく考察するための材料として位置づけられる。
今後は石柱碑文が記される前と後の2つの時期に区分し、プレア・カーンの伽藍が形成される過程で浮彫の様式や主題がどのように変遷したかを明らかにしていく。
【コメンテーターの発言】
①方法論
今回報告者が行った目録やデータベース作成作業は今後の研究にとっても重要なことであり、順序を追った詳細な研究である点が評価される。比較によってまた別の問題点が浮上する可能性があるので、プレア・カーンに限らず他の遺跡についても同様の密度でアプローチを行うことが望まれる。
②セデスによる碑文研究の検証
セデスによる碑文解釈は全面的に認められるものでなく、妥当性について検討することが第一前提である。プレア・カーン碑文から知られる本尊についても、観音という仏教的側面に捕らわれず「ローケーシャ=宇宙の支配者」というサンスクリットの語義に立ち返って、ヒンドゥー神との関連をも考察するべきだろう。ジャヤヴァルマン7世の時代は特に変則的な信仰形態が際立った時代だと考えられるからだ。
③伽藍形成過程の研究
伽藍形成過程を追うに当たってはステルン、内田悦生、オリヴィエ・クニンの三者の研究を挙げていたが、内田氏の研究は岩石という部材の科学分析であるため、参照するに留めた方がよい。また、今回はプレア・カーンの創建期に焦点を当てた報告であったが、ジャヤヴァルマン7世時代の都城建設全体を踏まえ、その中における本寺院の初期伽藍の位置づけを考察する必要がある。
④ヒンドゥーと仏教の共存
中央祠堂に施された図様やそこから出土した丸彫り像は仏教的モチーフを主体としているので、プレア・カーンが仏教を中心とする伽藍であることは認められるが、ヒンドゥー神格との合祀は最初から意図されたものである。即ちプレア・カーンは仏教とヒンドゥーの両者が互いに補い合いながら成立した伽藍であると言い得るだろう。シヴァ、ヴィシュヌと仏陀、観音はパラレルに捉えるべきで、ヒンドゥー社会における「仏教派」とも言うべき共存関係があったのではなかろうか。従って本尊である仏教尊とヒンドゥー神との繋がりは考慮されるべきである。
⑤中央祠堂主尊
中央祠堂に祀られた主尊の尊格だが、厳密には不明である。祠堂に施された図様に仏陀や観音が見られることは確認される。石柱碑文に記されるJayavarmeśvaraを観音と解釈しているが、観音以外の仏教尊格を想定してみる必要もあるだろう。
【報告者の返答】
ジャヤヴァルマン7世時代の都城建設全体の中に、どのようにプレア・カーンの初期伽藍が位置づけられるのか、報告者も考察する必要性があると考えている。本寺院の研究をまとめた後、タ・プローム、バンテアイ・クデイといった同時代遺跡についても同様の方法論を用いながらさらに発展させ、比較研究していきたい。
またヒンドゥー教や仏教といった宗教の枠組みに捕らわれないこと、中央祠堂の尊格についても柔軟に考察することなど、重大な問題であるので今後考えていきたい。
【質疑応答】
Q.1(桜井先生)
ヒンドゥーと仏教の関係について、浅井先生とは異なる見解を持っている。確かに両者を区別すべきでないというのは日本仏教学などで通例の考え方である。しかしバンテアイ・クデイに見られる廃仏行為を見れば両者の対立は明らかであり、ジャヤヴァルマン7世没後に強力な宗教反動があったことが窺われる。従って、プレア・カーンの本尊がシヴァでも仏陀でもよいという見解は成り立たず、浮彫の図像から判断してもローケーシャは観音を指すと考えるべきだろう。
プレア・カーンが建造された12世紀末から13世紀初頭は、ジャワにおけるシンガサリ朝に相当する頃である。この時代は大乗仏教に積極的にヒンドゥー思想が取り入れられ、東南アジア全体でマハーヤーナ・ヒンドゥーコンプレックスが形成された。重要なことはヒンドゥーが従属するものとして受容されたことであり、サンスクリット語のデーヴァは仏教語で天と訳される。つまりシヴァは仏教における大自在天であり、プレア・カーンに立ち返ると中心の観音を護持する諸天としてヒンドゥー神が位置づけられている。
このように、ジャヤヴァルマン7世の時代には、強力に仏陀がヒンドゥーの上に立つという思想が起きたことが分かる。仏が主でヒンドゥーは全て従であるという思想の表明こそがプレア・カーンであり、それによって反動が起きたのである。
A(浅井先生)
廃仏が行われた時期について補足するが、ジャヤヴァルマン8世の時代は明らかにヒンドゥーが強く、廃仏行為は確かにあっただろう。しかし10世紀からジャヤヴァルマン7世の時期に関して言えば、廃仏は行われなかったはずである。
Q.2(北川先生)
出入口枠に刻まれた碑文にmahāparamanirvvāṇpadaやbhūpendrapaṇḍitaといった王の諡号が見られるが、これらはどういった人物なのか。
また、プレア・カーンの神格配置を見ると中央にジャヤヴァルマン7世の父が位置し、ジャヤヴァルマン7世を巡る関係性が表わされているのを見て取れるので興味深い。この点をどう解釈するのか。またそれに付随してヤショーヴァルマン、ダラニーンドラヴァルマンという二人の王名が見られるのはどのように理解されるべきか。どういった王権観や宇宙観を表現するものであるか聞きたい。
最後に、石柱碑文はサンスクリット語だが、出入口碑文は古クメール語で記されている点について報告者はどのような見解を持っているのか。
A(報告者)
出入口枠に刻まれた碑文の個人名は、当時の地方王や高位高官を表わすと考えられ、彼らが自身の父母や先生のために彫像を奉納したことを示している。
ヤショーヴァルマンについては、ヤショーヴァルマン2世を指しており、ジャヤヴァルマン7世即位以前の近い年代の王である。ダラニーンドラヴァルマンというのはジャヤヴァルマン7世の父王である。これらが寺院南側に配されることによって表わされる世界観については、今後検証していきたい。
コメント:(桜井先生)
シンガサリ朝宗教の基本は、王が自分の先祖や直接の父を仏陀と同化させ、ひいては自分自身も仏陀となることにある。この構造はプレア・カーンの場合と全く同じであり、東南アジア全体に共通する信仰形態があったことが窺われる。
Q.3(上智大学・松浦さん)
同時代性ということに関して言うと、ミャンマーではアノーヤター王の時代に「ナット」という俗信の神を自身の信仰概念の中に取り入れ、バイヨンのような万神殿を形成した。このように色々な神格を一つの寺院に集める傾向は、ジャヤヴァルマン7世と同時代の東南アジアに共通して見られる特色である。このような同時代的潮流の中で、プレア・カーンはどのような意味を持つのだろうか。
A(報告者)
今後はジャヤヴァルマン7世のプレア・カーンのみならず、他の事例との比較も行っていきたい。
Q.4(大正大学・高橋さん)
寺院南側と東側の出入口に見える浮彫主題が、石柱碑文に記された神格と一致しない点についてはどのように解釈するのか。
A(報告者)
石柱碑文に記されているのは中心に祀られたごく一部の神格名だけであると考える。代表的な神格のみを挙げ、その施設がなんのための建物であるかを示すものだったのではないか。中央の神格を様々な神々が取り囲むという配置の思想的根拠については、今後明らかにしていきたい。
(文責:青山学院大学大学院 栗原 麻那美)
東南アジア学会会員の皆様
関東例会1月例会(1月28日開催)の案内をお送りいたします。
今回は関本紀子会員による「植民地期におけるベトナム度量衡統一政策の進展と地域性」、及び
久保真紀子会員による「プレア・カーン(アンコール)における出入口装飾の主題とその配置構成について」の2報告です。
詳細は下記をご覧ください。多くの方々のご来場をお待ちしております。
<2011年度1月例会>
日時: 2012年1月28日(土)13:30~17:45
会場: 東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html
☆ 第一報告(13時30分~15時30分)
報告者: 関本紀子氏(日本学術振興会特別研究員PD)
コメンテーター:桜井由躬雄先生
報告題:「植民地期におけるベトナム度量衡統一政策の進展と地域性」
<報告要旨>
仏領インドシナ連邦では、フランス植民地政権によりメートル系度量衡制度が導入され、法令によって規定されていたにもかかわらず、各地において現地固有の制度が植民地期後半に至っても維持されていた。
本報告の目的は、植民統治によって変容するベトナム社会に、根強く地域の個性が存続していた事象を、その背景と共に明らかにすることである。この問題を、仏領インドシナ政権の度量衡統一政策と北部ベトナム各省における実態を通じて検討する。
ベトナムの度量衡研究は、各時期各地域で用いられた制度があまりに多様なため、研究が困難であったが、客観的に相互比較の可能な均質的史料に基づいた研究により、この問題に取り組みたい。
その均質的史料として、トンキン理事長官および北部各省が作成した度量衡関係の行政文書を使用する。この文書分析作業によって北部各省における度量衡政策の進展と運用の実態、統一が実現できなかった背景を、時系列変化を通じて総合的に検討する。
☆第二報告(15時45分~17時45分)
報告者:久保真紀子氏 (日本学術振興会特別研究員)
コメンテーター:浅井和春先生(青山学院大学文学部史学科)
報告題:「プレア・カーン(アンコール)における出入口装飾の主題とその配置構成について」
<報告要旨>
アンコール期のクメール石造寺院建築では、動植物をモチーフにした文様や神話の場面等の浮彫装飾が、伽藍を形成する各建造物を豊かに飾っている。なかでも出入口に施された装飾には、ヒンドゥー教の神話や叙事詩、仏伝やジャータカ、あるいは世俗的な場面を主題とした説話的なモチーフが表現される。これらの説話的モチーフは、伽藍内の各建造物に開口された出入口の場所と密接に関係しており、何らかの意図のもと計画的に配置された可能性がある。
ジャヤヴァルマン7世(1181年‐13世紀初)統治期の建造とされるプレア・カーン遺跡では、寺院の創建時に奉納された石柱碑文が発見されている。この碑文には、寺院創建時、どの建造物にどういった神々が何体祀られたかを記述した個所がある。
本報告では、プレア・カーン遺跡の出入口装飾に表わされた説話的モチーフに着目し、その主題を同定する。そして、それらの寺院伽藍内における配置構成について考察し、石柱碑文の記述内容との整合性を検証する。
来年度の例会の日程が下記の通り決定いたしました。会場は本年度と同じく、東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペースです。
近日中に報告者の募集および報告内容についてご案内申し上げますので、多くの方々からのご応募をお待ちしております。
■ 2012年度の例会 開催日時(1回につき2報告)
・第1回 2012年4月28日(土) 13時30分~17時45分
・第2回 5月26日(土) 13時30分~17時45分
・第3回 6月23日(土) 13時30分~17時45分
・第4回 10月27日(土) 13時30分~17時45分
・第5回 11月24日(土) 13時30分~17時45分
・第6回 2013年1月26日(土) 13時30分~17時45分
また、下記の関東例会のブログにて、過去の例会の議事録及び今後の例会の案内を掲載しておりますので、ぜひご参照ください。
http://kantoreikai.blog.fc2.com/
青山 亨(東南アジア学会理事・関東地区担当、東京外国語大学東南アジア課程)
(連絡先) kanto-reikai@tufs.ac.jp