2014年4月の関東例会のご案内

2014年度第1回関東例会・4月例会のご案内を致します。

今回は、北川香子会員、岡本真氏による「17~18世紀柬埔寨国書の分析」及び、髙橋昭雄会員による「ミャンマー村落社会論構築の試み」の2報告です。

詳細は下記をご覧下さい。多くの方々のご来場をお待ちしております。
なお、今回の会場は通常とは異なる「4階セミナースペース」となっております。
ご注意ください。

<2014年度4月例会>
日時:2014年4月26日(土)13:30~17:45
会場:東京外国語大学・本郷サテライト4階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

☆第一報告(13:30~15:30)
報告者:北川香子氏(学習院大学・青山学院大学非常勤講師)
岡本真氏(東京大学史料編纂所助教)
コメンテーター:松方冬子先生(東京大学史料編纂所准教授)
報告題:「17~18世紀柬埔寨国書の分析」

<報告要旨>
東京大学史料編纂所は、17・18世紀のクメール語書簡6通各2写本を所蔵している。これらは対になる漢文書簡とともに、近藤重蔵関係資料『外国関係書簡』と『外蕃書翰』に収められている。そのうち1742年に日本に送られてきた書簡は、2013年11月に開催された史料編纂所の第36回史料展覧会で展示され、その機会に報告者らが行った調査によって、『外国関係書簡』所収のものが原本に極めて忠実な写しであることが判明した。すなわち碑刻文以外では、現在知られている中で最古のクメール語文書と考えられる。残り5通は『相国寺書翰屏風』からの写しであり、1742年書簡よりも精度が劣るが、オリジナルの『相国寺書翰屏風』は「天明の大火」で焼失したとされているので、やはり『外国関係書簡』所収のものが、原本に最も近い写しということになる。今回は、これらのクメール語書簡を含めた柬埔寨国書の解読・分析によって、新しく判明した17~18世紀の日本とカンボジアの通交のあり方を報告する。

☆第二報告(15:45~17:45)
報告者:髙橋昭雄氏(東京大学東洋文化研究所教授)
コメンテーター:斎藤照子先生(東京外国語大学名誉教授)
報告題:「ミャンマー村落社会論構築の試み」

<報告要旨>
1986年から現在に至るまで、ミャンマー農村200ヵ村以上を訪ね歩き、のべ一万人を超える村人たちと語り合った経験をもとに、「ミャンマー村落社会論」の構築を試みる。日本農村研究から生まれた同族論や自然村論、東南アジア村落研究から想起された家族圏論や屋敷地共住集団論を批判的に継承し、これらの諸理論に自らのインタビュー調査を重ね合わせて、「ミャンマーにおける村とは何か」という、私自身が長年抱き続けてきた問題にとりあえずの見通しをつけてみたい。日本農村社会との比較で得た当面の結論は、「日本の村が生産の共同体であるのに対し、ミャンマーの村は消費のコミュニティである」というものである。ここに至る過程について発表し、コメンテーターをはじめとする研究会参加者の皆さんの批判を仰ぎたいと思う。

終了後、懇親会を用意しております。
多くの方のご来場をお待ちしております。
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2014年度の報告者の募集

東南アジア学会会員のみなさま

東南アジア学会関東例会では下記のとおり、2014年度の報告者を募集いたします。多くの方々のご応募をお待ちしています。特に締め切りは設定していませんが、早目の申し込みをお願いいたします。

■2014年度東南アジア学会関東例会報告者募集
・関東例会では、コメントと質疑応答の時間を含め、各報告者に2時間という長い持ち時間が与えられます。討論内容は記録され、後日、関東例会のウェブサイトに掲載されます。ご自身の研究のアピールの場として、また多様な関心を持つ研究者からコメントやアドバイスを受ける場として、この貴重な機会をご活用ください。
・報告者は東南アジア学会会員に限定いたします。コメンテーターは学会員である必要はありませんが、報告者者ご自身で依頼していただくようお願いします(どうしても探せない場合は担当理事までご相談ください)。

■2014年度の関東例会 開催日程
2014年(平成26年)
・第1回 4月26日(土)
・第2回 5月24日(土)
・第3回 6月28日(土)
・第4回 10月25日(土)
・第5回 11月22日(土)
2015年(平成27年)
・第6回 1月24日(土)
毎回13時30分開会、17時45分閉会。1回につき2報告

■会場
・東京外国語大学・本郷サテライトです。
・第1回4月例会のみ4階セミナースペース、他の回はすべて5階セミナースペースを使用します。
・住所:〒113-0033東京都文京区本郷2-14-10
・TEL&FAX:03-5805-3254
・アクセス:地下鉄(丸ノ内線・大江戸線)本郷三丁目駅下車徒歩5分
・会場へのアクセスは以下をご参照ください。
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

■報告・コメント・討論の時間
・報告者は1回につき2名、途中に休憩をはさんで、それぞれ報告60分、コメンテーターによるコメント10分、フロアからの質問と討論50分を予定しています。

■応募方法
・関東例会で報告を希望される方は、関東例会連絡用アドレスの東南アジア学会理事(関東地区担当)青山亨まで、下記の情報を明記して電子メールでお申し込みください。

関東例会連絡用アドレス:kanto-reikai@tufs.ac.jp

[記載情報]
・氏名と所属
・発表を希望する日を第2希望まで(例:第1回4月26日、第2回5月24日)
・報告題目(仮題目可)および報告要旨(300~400字)
・コメンテーター(氏名、所属、メールアドレス)
・報告記録者(氏名、所属、メールアドレス)
・希望する使用機器(例:パワーポイント)

■応募の取り扱い
・報告要旨を読んだうえで判断させていただきます。例会の運営上、報告の可否、報告の日程についてご希望に添えない場合にはご相談させていただくことがあります。また、要旨については書き直しをお願いする場合もあります。ご了承ください。
・グループによる申請(ミニ・シンポなど)も受け付けていますのでご相談ください。

■報告記録
・関東例会では、例会の報告記録を、関東例会ウェブサイトに掲載しています。
これは、コメンテーターからのコメント、質疑応答のポイント、今後の課題等について、1200字から1500字程度でまとめたものです。
・報告記録は、報告者ご自身でまとめていただくか、あるいは報告者ご自身で報告記録者を選びご依頼いただくようお願いいたします。

■懇親会
・例会終了後は、周辺の店に場所を移して懇親会を開催しています。ご都合の付く方はぜひご参加ください。

■関東例会ウェブサイト
・関東例会のお知らせ、予定、報告記録を随時掲載しています。ご活用ください。
http://kantoreikai.blog.fc2.com/

■問い合わせ
・青山亨(東南アジア学会理事・関東地区担当、東京外国語大学東南アジア課程)
taoyama@tufs.ac.jp
・関東例会委員(東京外国語大学院生)
kanto-reikai@tufs.ac.jp

2013年度第6回関東例会議事録

2014年1月25日(土)に開催されました2013年度第6回関東例会(会場:東京外国語大学本郷サテライト)でのご報告の議事録を掲載いたします。

第一報告(13:30~15:30)
報告者:小池誠先生(桃山学院大学国際教養学部教授)
コメンテーター:伊藤眞先生(首都大学東京都市教養学部教授)
報告題:「台湾で働く多様なインドネシア人のネットワークとその結節点」

<報告要旨>
 主な対象とするのは台湾在住のインドネシア人移住労働者と彼女/彼らが構築するネットワークである。彼女/彼らがどのようなネットワークを作り上げ、そして、そのネットワーク上で、出身地など背景の異なるインドネシア人がいかなる結節点(nodal points)でどのように出会うのか、その実態を俯瞰的に描き出すことが、報告の目的である。
 台湾で働くインドネシア人労働者は、2010年11月時点で約15万人であり、全体の80%以上を女性が占め、高齢者の介護という名目で雇用者宅に住み込みで働くケースが多い。台湾における移住労働者は、①地縁血縁から物理的に切り離された個人であり、②高齢者介護という3年程度の契約労働者であるため、永続的な定住を志向する移民と違い集団志向相対的に弱く、③働き先と居住地の選択や休日の取得や移動に関して労働者には厳しい制約が加えられているという特徴を有し、相対的に行動の自由を欠く、いわば「バラバラの個人」といえる。けれども、インドネシア人移住労働者は、雇用者に管理された生活環境下であっても、実際には多様なネットワークを構築し生活している。たとえばインドネシア人向け総合店舗(Toko Indo)は、休日に食事や買物・送金をおこなうだけに留まらず、カラオケを楽しみに多くの労働者が集まる場所(結節点)と位置付けられる。さらに、モスクなどの宗教施設、金曜礼拝やIdul Fitri(断食明けの祭)といったイスラームの祝日に合わせてインドネシア人ムスリム団体が主催する宗教イベントは、台湾各地に住む移住労働者が集まる機会を提供する結節点といえる。この他にも、インドネシア語の活字メディアやFacebook等のソーシャル・メディアは、離れた地域の労働者をつなぐ役割を果たしていると同時に、対面的なネットワークへと関係性が発展するツールともなっている。
 本報告では、インドネシア人店舗や宗教施設といったインドネシア人労働者が有するネットワークの結節点、およびそのような場所の担い手たる店舗経営者やインドネシア人ムスリム団体とそこに集うインドネシア人労働者に着目することで、彼女/彼らが構築するネットワークの次のような特徴を明らかにした。まずインドネシア人店舗に着目すると、経営者がおもにインドネシア華人であることから、いわば華人とプリブミ(非華人)との双方がネットワークの構築に重要な役割を果たしていることである。華人のエスネック・ビジネスに支えられると同時に、モスクという場所に依拠しつつインドネシア人留学生や労働者によるムスリム団体が中心となってネットワークの形成と結節点を生み出していることから、台湾におけるインドネシア人ネットワークはインドネシア社会の縮図のような側面があると指摘できる。

<コメントと質問>
 まず「地縁血縁から切り離されたバラバラな個人としての移民」という位置づけを仮説的に提示するならば、そういったバラバラな個人が新たな移住先・労働先でいかに結びつくのかという点が問題になる。それを報告では結節点(nodal points)と呼んでいたが、タイプ別に整理すれば、一つには台北駅前の広場や公園で出会うというケースにみられるように「場の共有性」ということが重要になる。二つにはIdul Fitriといった大規模な礼拝に参加すること、または独立記念日前後の色々な催しに参加することが繋がりの契機となることから「時間・機会を共有する」という点も重要と言える。三つには、メディアの存在に関して、香港で見た限りでもパソコンや携帯を利用して多くの者がSNSを利用している。それは、華人が営むインドネシアの商店の役割、また留学生を中心としたインドネシア人の組織やムスリム団体の役割にみられるように、いわばインドネシア人移民同士を媒介するものであると言える。
 台湾におけるインドネシア人移住労働者について、香港の事例を対照させつつコメントするならば、次のようなことが言える。まず一つ指摘できることは、香港のインドネシア人労働者も台湾の場合も、同じ労働システムが働いているという点である。インドネシア出身の移住家事/介護労働者は、斡旋会社(ブローカー)を介して香港や台湾の雇い主とマッチングが行われると同時に、家事/介護労働者は就労先が決定するまでの数か月間、斡旋業者によって移住先国の言語や社会・文化について学ばされる。他方で、台湾と香港の違いについて指摘するならば、香港のヴィクトリア・パークに数千人と言われるほどの移民労働者が休日になると集まってくる凝集性に対して、台湾では地理的な理由からそのような凝集性はないように思える。また政治的背景の違いも大きく、香港では集会や組織化・労働組合の自由が早い段階で成立しており、さらに労働組合同士の連携や国際NGOによる支援によって香港の労働法や悪徳な斡旋業者に対する反対運動が積極的に展開されている。加えて社会的要因としても、インドネシア人の人口が14万5千人程度であり、そのうち13万5千人程度が女性労働者であるとされる香港の場合には、いわゆる「女性の社会」というものが成立しているように思える。台湾で媒介者の役割を担ったインドネシア人留学生や男性労働者といった存在があまり見受けられない。
 このような台湾と香港との対比を踏まえて、以下に台湾の状況について質問したい。①出身地の地域性を契機とした再結合が移住先であるのか、②血縁や地縁、社縁といった繋がりについて、たとえばインドネシアでの斡旋業者による研修期間中のつながりが移住先でも継続しているのか、③海外への移住労働という経歴が彼女/彼らのキャリアをエンパワーメントするものであるのか、④ジルバッブといったイスラームの服装は移住先でも継続されるのか。

<報告者の返答>
①たとえば西ジャワ州インドラマユ県出身者による団体化が最初のケースとして挙げられる。また、西ジャワ州であればスンダ語で会話ができるといったように同じ出身地域であることが、当事者同士が親しくなることに繋がると考えられる。けれども、西ジャワ州出身という契機が組織的に展開されるということはあまりない。

②調査を通じてそのような語りが聞けなかったため、この点については分からない。

③台湾では労働者の自由がかなり制限されているなど相対的に権利が低いことから、移住労働の経験が女性のエンパワーメントに繋がるようなことは、香港に比べれば相対的に低いように思える。けれども、台湾に在住するインドネシア人の2割程度を占める男性労働者のなかには、ムスリム団体で活動した経験をもとに母国で孤児院建設を行ったという話もあることから、むしろ男性にとってエンパワーメントの機会となっている。

④台湾ではジルバッブの着用に関する雇用者の理解が得られないので、イスラームの集会や礼拝に参加する時のみ着用すると言うケースが多い。

<質疑応答>
質問1.移住労働を行うために斡旋業者に支払う金額は移住先の国によって異なるのか?

報告者:サウジアラビアなど中東諸国へ行くことは、経費や渡航用件などの点でも比較的容易だが賃金は低い。他方で香港や台湾への渡航就労は、学歴が一定以上必要とされるなど困難であるものの、就労できた場合の賃金はいとされる。そして、台湾の場合は一年程度働いた時点で、出国経費などの負債を業者へ返済することができる。
  
質問2.労働需要の継続性と賃金上昇の問題は国際労働市場において重要な点となるが、たとえば台湾のインドネシア人労働者に関しても賃金が継続的に上昇しているのか、さらにはそのような上昇によって他国の労働者にシフトするという変化がみられるのか?

報告者:台湾の外国人労働者は1990年代に始まり、2000年代に増加したという経緯がある。最初の段階ではタイ人とフィリピン人が多かったものの、フィリピン人が次第に自らの権利を訴えるようになったため、インドネシア人やベトナム人にシフトしたという経緯がある。給料水準は英語ができるといった要素からフィリピン人の方が高いという話は聞いたことがあるものの、賃金の安さを求めてバングラデシュ人へ移行していく動きはみられない。台湾では「インドネシア人女性は使いやすい」といったようなイメージが浸透していることから、現状としてはインドネシア人の雇用が続くように思える。


(文責者:首都大学東京大学院 荒木亮)


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第二報告(15:45~17:45)
報告者:鈴木隆史先生(桃山学院大学兼任講師)
コメンテーター:加納啓良(東京大学名誉教授)
報告題:「インドネシア西ジャワ州インドラマユ県、カランソン村における流し網漁業発展史−残された記録と漁民および商人のオーラルヒストリーを中心に−」

<報告要旨>
 本報告ではインドネシア西ジャワ州インドラマユ県カラソン村の流し漁業の発展過程とその特徴をオーラルヒストリーと商人や船主たちの残した帳簿類をもとに明らかにする。
 カランソン村の漁業は、沿岸で操業する小型延縄とパヤン(伝統的手繰網)が中心だったが、1960年代の半ばにナイロン製漁網を用いた流し網漁業が始まった。木造帆船に4人が乗組み、米などの食料の他、漁獲物保存用に塩を積んで1ヶ月以上操業し、1トンを越える塩漬けのサメ、ハマギギ、フエダイ、ソウダガツオなどの他、乾燥フカヒレを持ち帰った(この流し網をンガワという)。やがて船主たちは魚商人から操業経費の仕込みを受けるようになり、操業成績が上がらず漁船を商人に売却する船主も現れた。こうして徐々に商人がンガワ船主となり、数十隻の漁船を所有する商人も誕生し、「浜将軍」と呼ばれた。また、商人たちは西ジャワ州各地に新たな塩蔵魚市場を開拓し、販路を拡大した。
 漁船や漁網規模に大差がない中で、各船の漁獲量は漁撈長の能力に大きく左右された。商人船主たちは優秀な漁撈長や乗組員を確保するため、彼らに気前よく前貸し金を与え、寄港地での漁獲物販売による小遣い稼ぎも見逃す寛容さを示した。こうした船主と乗組員との関係は、当時の漁村の社会経済状況を反映したパトロンークライアント的な関係ともいえるが、貸付金の焦げ付きや寄港地での過剰な販売による利益の減少が経営を圧迫することもあった。
 1980年代半ばになると漁業協同組合と水揚施設(TPI)が設立され、セリが導入された。また、漁船の動力化と氷が漁獲物の保存に用いられるようになり、漁船も大型化した。水揚げされた多様な鮮魚は、仲買人たちの手を経て村落内外の市場や塩蔵魚、クルプックなどの加工業者に販売されたほか、ジャカルタなどの大都市へとも搬送された。この流し網漁業(エスエサンという)を行なうには、漁船の改造や新造船の建造、エンジンの購入などの新規投資と燃油代、氷代などの操業経費を必要としたが、動力化で航海日数が短縮され、年間出漁回数も増加したため漁獲量・金額ともに増加し、常に操業利益が確保でき、乗組員たちへの分配金も増加した。安定した利益を確保できるため、商人から仕込みを受けていた船主たちも、親戚や知人、漁協などから資金を調達してエスエサンへと転換し、ンガワ漁船は減少した。
 こうして発展してきた流し網漁業(エスエサン)は、2000年代に入って新たな技術的革新を遂げる。積載量50トン以上の大型木造船が建造され、そこに漁獲物の保存用にフリーザ(冷凍装置)を導入、高馬力のトラック中古エンジンが据え付けられた。漁網の品質も向上し、使用漁網量(長さ)も増加。また、省力化のために網揚げ機も設置され、GPS、無線機も導入された。漁場探索や航海で漁撈長の勘や経験に頼る時代は終わり、操業の効率性と長時間労働に耐えることのできる若い乗組員が求められるようになった。こうした第二の「近代化」により漁獲量はさらに増加し、漁獲物の長期鮮度保持も可能となった。セリでは鮮魚よりも冷凍魚の方が高価格で取引され、漁獲高に反映された。冷凍魚の多くは鮮魚としてではなく、塩蔵魚の他、すり身、クルプックなどの加工品原料となり、セリの最中に仲買人たちが携帯電話や電卓を用いて市場価格などの情報を確認し、競り落す姿が見られるようになった。
 現在、新規の流し網漁業には1000万円を越える初期投資が必要だが、およそ2年で投資資金を回収できるとも言われ、これまで漁業とは無縁だった町の医者や公務員、日本への留学経験を持つ若者(船主の息子)など新たな船主層が誕生している。彼らは、自己資金だけでなく、漁協や民間銀行などから融資を受けており、新しい漁船はさらに融資を受けるための担保ともなっている。こうした漁民以外の船主の参入や漁船・漁網規模の拡大競争が進む中で、資本力のない船主たちはカニカゴ漁や小型延縄漁業などに転換し、中には大型流し網漁船の漁撈長や乗組員になった者もいる。
 このようにカランソン村で始まった流し網漁業の発展過程を漁民や商人のライフヒストリーや商人の帳簿類をもとにひも解くことで、これまで明らかにされてこなかった商人や漁撈長・乗組員が漁業の発展に果たした役割、漁業の「近代化」が漁業経営や水産物流通にもたらした影響が明らかになった。しかし、漁撈長の中には漁獲量の減少を訴える者もおり、近年の急激な漁船の大型化、高性能化競争による生産力増加が資源の乱獲をもたらし、漁獲量の減少による経営への影響が懸念される。

<コメントと質問>
 インドネシアの漁港は河口付近の川縁に沿った場所に設置される傾向がある。Google Earthで確認したところ、鈴木氏の調査地である漁村もはっきり確認することができ、漁船の多さなどから漁業に活気づいた町の様子が窺える。

質問
① 村を流れる川は人工的な放水路のようだが、いつ頃、どのようなイニシアチブで作られたのか。

② 村の後背地は農地のようだが、現在のような漁業中心の村落になる前の生業形態は?

③ 近年の水産統計をみると、養殖業の成長が目覚ましいが、調査地の漁業と養殖業の関連は?

④ 漁業における華人商人の役割や関わりは?

⑤ 近年の漁業投資額は莫大な金額であるように思えるが、それに銀行などが貸付けを行っている場合、どのような銀行がいつ頃から参入・展開している?

<報告者の返答>
①チマヌク川は農業用水確保のために1960年代に改修工事が行なわれたが、村の中を流れる川は、改修工事以前にチマヌク川氾濫による洪水防止のための排水路だ。

②カランソン村はもともと農村だ。河口部に小型延縄を営む漁民たちの集落ができ、地主がパヤン漁業の船主となって漁業が営まれた。

③養殖池ではバンデンとエビが養殖されているが、養殖業者は漁民ではない。ただ、魚商人の中には養殖池を所有する者がいる。

④町に住む華人商人たちは、建築業や食品加工業、商店経営など様々な事業を行なっており、流し網漁業の船主もいたが、操業・漁獲物の販売は漁撈長や魚商人に任せており、フカヒレだけは華人自らが扱った。

⑤1990年代頃までは銀行からの積極的な貸付は行われず、土地や建物などの担保、信用のある者の紹介状がなければ、融資を受けることができなかったが、2010年以降、各銀行は競うように船主に貸付を行なっている。

<質疑応答>
質問1.フリーザーの導入によって塩蔵から鮮魚へと市場が変わったのか?燃油価格などは、漁業に影響をあたえるのか?

報告者:①鮮魚市場は1980年代後半の氷の導入により拡大した。②燃料は補助金により市場価格より安く、燃料費が経営を圧迫するには至っていない。

質問2.政府や地方当局による船舶所有の規制や漁獲量の制限基準はあるか?また漁場を変えたりすることで、漁獲高を保つ工夫がなされてきたのか?

報告者:漁船の規模70トンを越えると経営形態や補助金や税金も変る。所有漁船数の制限はない。カリマンタン沿岸で操業する漁船には、州政府発行の操業許可が必要となった。対象魚種に応じて漁網の設置水深を変えている。なんらの漁獲規制がない中で競争が激化すれば、資源の乱獲が懸念。

質問3.ジャワ海をめぐる漁業について、インドラマユの漁民と他地域の漁民とのあいだで、漁場などをめぐる競合は生じていないのか?

報告者:ジャワ海で操業するまき網などとは漁場や対象魚種が異なるため、漁場紛争は起きていない。カリマンタン島沿岸でも現地漁民が少ないため、争いは起きていない。ただし、流し網は様々な魚種を対象とするため、サメやフエダイなどを目的とする延縄漁業との間で競合が生じていると考える。操業規制や資源管理が必要となるだろう。


(文責者:首都大学東京大学院 荒木亮)


2014年1月の関東例会のお知らせ

東南アジア学会会員の皆様

関東例会 2014年1月例会(2014年1月25日開催)のご案内を致します。

今回は、小池誠会員による「台湾で働く多様なインドネシア人のネットワークとその結節点」、および、鈴木隆史会員による「インドネシア西ジャワ州インドラマユ県、カランソン村における流し網漁業発展史−残された記録と漁民および商人のオーラルヒストリーを中心に−」の2報告です。

詳細は下記をご覧ください。多くの方々のご来場をお待ちしております。

<2014年度1月例会>
日時:2014年1月25日(土)13:30~17:45
会場:東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html


☆第一報告(13:30~15:30)
報告者:小池誠先生(桃山学院大学国際教養学部教授)
コメンテーター:伊藤眞先生(首都大学東京都市教養学部教授)
報告題:「台湾で働く多様なインドネシア人のネットワークとその結節点」

<報告要旨>

主な対象とするのは台湾在住のインドネシア人移住労働者と彼女/彼らが構築するネットワークである。彼女/彼らがどのようなネットワークを作り上げ、そして、そのネットワーク上で出身地など背景の異なるインドネシア人がいかなる結節点でどのように出会うのか、その実態を明らかにしたい。台湾で働くインドネシア人労働者は2012年6月に185,000人であり、全体の80%以上を女性が占めている。高齢者の介護という名目で雇用主宅に住みこみで働く女性が多い。結節点として第一に挙げられるのが、インドネシア人向け総合店舗(Toko Indo)である。休日には食事や買物・送金だけでなくカラオケを楽しみに多くの労働者が集まる。第二は、金曜日の礼拝やインドネシア人ムスリム団体が主催する宗教イベントである。この他、インドネシア語の活字メディアと、Facebook等のソーシャル・メディアも、離れた地域の労働者をつなぐ役割を果たしている。



☆第二報告(15:45~17:45)

報告者:鈴木隆史先生(桃山学院大学兼任講師)
コメンテーター:加納啓良(東京大学名誉教授)
報告題:「インドネシア西ジャワ州インドラマユ県、カランソン村における流し網漁業発展史−残された記録と漁民および商人のオーラルヒストリーを中心に−」

<報告要旨>

西ジャワ州インドラマユ県のカランソン村では1960年代の半ばに流し網が始まる。漁獲物の保存に塩を用いるようになったことで一ヶ月以上の長期間操業が可能となり、水揚量も飛躍的に増加した。しかし、一回の操業に多額の操業経費が必要なため、個人船主ではなく資本を有する魚商人たちが船主となった。一方、大量の塩蔵魚を販売するために商人たちが新たに市場を開拓した。1980年代の半ばになると、漁船の動力化が進み、漁獲物の保存に氷が用いられるようになり鮮魚生産が可能となる。セリ制度の導入で公正な魚価が形成され、水揚金額も増加。経費を短期で回収できるため、独立した個人船主が誕生し、それまでの商人経営の漁船は減少した。2010年になると、GPS、無線機、フリーザーを搭載した漁船が誕生し、冷凍魚が水揚げされるようになった。漁獲物の品質が安定し、水揚金額も増加した。漁船への初期投資に1000万円以上かかるものの、2年以内で投下資本は回収できるといわれ、流し網漁業は確実に儲かる事業と認識され、医者や公務員などの漁民以外の船主が誕生している。

 


終了後、懇親会を用意しております。




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今年度の例会の報告者募集は終了いたしました。
たくさんのご応募どうもありがとうございました。


来年度以降の関東例会の開催日程、報告者募集につきましては、
1月例会終了後にアナウンスいたします。


また下記のブログにて、過去の関東例会の議事録、
及び今後の例会の案内を掲載しておりますので、ぜひご参照ください。
http://kantoreikai.blog.fc2.com/


青山 亨(東南アジア学会理事・関東地区担当、東京外国語大学東南アジア課程) 
(連絡先) kanto-reikai@tufs.ac.jp




11月関東例会 議事録

2013年11月16日(土)に開催されました2013年度第5回関東例会(会場:東京外国語大学本郷サテライト)でのご報告の議事録を掲載致します。

第一報告(13:30~15:30)
報告者:山﨑美保氏(東京外国語大学大学院・総合国際学研究科・博士後期課程)
コメンテーター:青山亨先生(東京外国語大学大学院・総合国際学研究院・教授)
報告題:「古ジャワ語刻文にみるバリトゥン王(在位898-910年)の統治と王権強化」


【報告要旨】
 本報告では、バリトゥン王時代に発布された19点の古ジャワ語刻文の分析を通して、バリトゥン王にとってのシーマ定立が、先行研究でも指摘されているように、ラケや寺院を統制するための1つの手段であったこと、そして救済、公共事業 や交易規定などの恩恵にみられるように民衆を王の統治に組み込むための手段として機能していたことを明らかにした。

【コメント】
 研究者が少ないなか、刻文を文字から読むことは有意義なことである。今回の報告では、商業的、農業的な面での経済活動を支える、舟渡しや灌漑などの公共事業のためのシーマ定立、またシーマ定立に伴う商業規定などを、単に社会の構造としてではなく、王の政策としてまとめたところが独創的なところである。
 
【質疑応答】
① 文字の転写に関して、ばらつきがあるので規定を作り、統一すべきだ。
→まだ文字をどのように転写するかは模索中であり、今回使用した転写は利用した文献の転写をそのまま採用している。今後は文字の転写規定をつくり、統一していきたい。

② マンティヤシI刻文とワヌア・トゥンガIII刻文は、誰が発布し、誰が歴代の諸王を列挙し記述しているのか。
→ともに、バリトゥン王が発布した刻文である。マンティヤシI刻文はシーマ定立の儀礼のなかで祈願される神々を列挙する際に、サンジャヤをはじめとし、7人の王のラケ称号のみが記述されている。また、ワヌア・トゥンガIII刻文では、僧院のシーマとなった水田に関して、歴代の諸王がどのような態度をとっていたのかを、その即位年とともに記している。

③ クブクブ刻文の説明の箇所で、灌漑の水路のためにシーマが定立されたとあるが、これは何を意味しているのか。
→刻文の最初の箇所で、シーマが定立される理由が書いてある。サン・アパティの水をこの水路に流すためであると記述されているが、詳細はよくわからない。しかし、「サン」という語は神聖なもの、例えば神などの語の前につけられる冠詞であり、おそらく、このサン・アパティも宗教的な、寺院に関係する人であったと推測できる。そのため、この水路は寺院のため、例えば寺院の水田のために使用されたと考えられる。このシーマはその水路を造るあるいは維持するために定立されたと考えられる。

④ バリトゥン王がカユワンギ王を重要視しているようだが、カユワンギ王とは中部ジャワ時代においてどのような存在であったのか。
→古ジャワ語で王を意味するラトゥではなく、初めてシュリー・マハーラージャというサンスクリット語の称号を用いた王であり、この王の時代に王の権力が強化され始めたと考えられている。

⑤ バリトゥン王の刻文は中部ジャワだけではなく、東部ジャワからも出てきており、バリトゥン王の権威が東部ジャワにまで及んでいるが、このことをどのように考えているか。
→東部ジャワまで権威が及ぶほどバリトゥン王の権威が強化されていたと推測できるが、現段階では考察中であり、明確な答えはもっていない。

⑥ バリトゥン王以前にも東部ジャワの刻文があるのか。
→少数だがある。しかし、中部ジャワの権威が東部ジャワに及んでいたことを示すものではない。9世紀初めには、古ジャワ語で書かれた最古の紀年をもつ、水路に関して書かれたハリンジンA刻文がある。

⑦ 中部ジャワ時代の都の位置は分っているのか。
→刻文の記述から、大まかな場所は推測できるが、特定はされていない。王によって、王宮の所在地は変わっているようである。バリトゥン王時代の刻文の記述から、バリトゥン王の王宮はクドゥ地域にあったと考えられる。

⑧ ラケによるシーマ定立を記す刻文のなかで、王の名前を記すものはバレット・ジョーンズの4つの方式のうち、どれに属するのか。
→その時の王の名前が記されるが、王の命令や恩恵によるものではなく、あくまでラケ自身によるシーマ定立であるので、バレット・ジョーンズは自立型に含んでいる。

(文責:山﨑美保)

第二報告(15:45~17:45)
報告者:梶村美紀氏(東京大学大学院・総合文化研究科・博士課程)
コメンテーター:根本敬先生(上智大学・外国語学部・教授)
報告題:「定住ビルマ人のネットワーク形成過程:少数民族とバマーの連帯を事例に」


【コメント】
 全体の感想として、ビルマで「民政移管」が始まって2年ほど経ったいま、在外のビルマ人が将来どうするのか岐路にたたされている時期でありタイムリーな研究課題だといえる。先行研究は軍政期の先の見えない時期に書かれているため詳細な考察が不可能であったが、報告者は軍政後の現実を見据えることができ、ビルマから難民が流出した歴史的な経緯をふまえた上で、24年間というスパンで定住ビルマ人組織の経緯を考察しており、その点は新鮮である。さらに、この経緯を漠然とみていくのではなく、第1期から第5期に分け、時期ごとに議論展開した点が興味深く説得力がある。組織一覧表に活動停止時の情報があればもっとよかったが、配布資料も適切に準備されている。
 次にコメントおよび質問であるが、今後の課題として、まずは比較の研究が挙げられる。政府の難民や外国人の受け入れ政策の不備に対抗すべく、日本では少数民族とバマーの接近がみられたが、諸外国のビルマ難民の状況はどうなのか。例えば、多文化共生政策を国策としているオーストラリアでは報告と全く逆の現象が見られ、民族別にコミュニティを作り、個人レベルの民族間交流はあるが、コミュニティ間の有機的なネットワークは形成されていない。このような違いが生み出される要因を研究していく必要がある。
 第2点は、日本社会がビルマ難民への認識を深めたと指摘しているが、それをどうやって実証できるのか。日本政府によるビルマ難民の受け入れの増加、カレン難民の第三国定住受け入れの開始、ビルマ難民に関連するイベントやエスニックレストランの増加から、日本社会の認識が深まったといえるのかどうか、再考が必要である。日本社会の難民に対する見方を別途調査する必要がある。
 第3点は、日本を含む海外十数カ国で組織形成がなされている在外ロヒンギャが配付資料の一覧表に含まれていないのはなぜか。定住ビルマ人のネットワークを議論していくなら、ビルマでは国民と認められていないロヒンギャを視野に入れる必要がある。質問としては、定住ビルマ人の将来を見据えた日本側の課題、日本の難民受け入れの課題は何かを聞きたい。特にビルマに関しては第三国定住受け入れ政策がうまくいっていないが、この点を含めて課題解決には何が必要なのか見解を聞かせてほしい。

【コメントに対する報告者の回答】
 1点目の比較の研究、以前、韓国の定住ビルマ人を調査研究したが、その際に受け入れ国の外国人政策や社会の受け入れのあり方によって、当事者の活動や意識が全く異なるという点を学んだのでその点をふまえ今後の課題として取り組みたい。オーストラリアやアメリカのように国土が広大な場合は民族毎に集住し、日本、韓国、イギリスなど国土が狭ければ民族に関係なく首都圏など一カ所に集住する傾向が強い。この点を比較したり、それ以外の要因についても研究していきたい。
 2点目の日本社会受け入れの根拠については、新聞記事の分析などを含めればよかった。例えば、日本人に関連した事件をきっかけに日本社会がビルマ国内の動向に注目するようになり、それに関連して日本にもビルマ難民がいるとの認識が共有され、同時にビルマ出身者の難民認定者数が急増したという点を実証すべきだった。
 3点目のロヒンギャ組織については、今回の報告では東京を拠点に活動している組織の一部を対象としているために含んでいない。そのため、群馬が活動拠点のロヒンギャの組織、名古屋が活動拠点の民主化組織やその他の地域の学生組織などは含んでいない。実態としては現在のところネットワークは形成されていないが、現状を問題視している人は少なくない。長期的にみていく必要がある。今後の日本の難民受け入れの展望については、まず失敗要因として、当初の受け入れのあり方、日本に暮らしている同胞と連絡も取れないなど日本政府側が囲い込みすぎていた点が指摘できる。日本の現状では外国人政策の中に難民政策が組み込まれているため、難民政策だけを改善していくのではなく、外国人政策全般の中で考えていく必要があるのではないか。そうしなければ、難民の受け入れという点だけは状況改善されるかもしれないが、その後の定住過程において結局外国人政策に影響を受け、難民が定住先として望まなくなると考えられる。

【質疑応答】
質問1:報告要旨で意識の変容と表現してあったので少数民族個人に焦点を当てた話と思っていたが、実際の報告では少数民族組織の話で、内容も個人の話と組織の話が混同していた。少数民族はビルマ/ミャンマーという国籍を持っているが、ビルマ人という意識を持っていなかったと言えるのか。
報告者:少数民族個人の話ではなく、組織の活動の変容を通して意識がどう変わったかを報告したが、表現が不適切であったかもしれない。本報告では詳細を触れる事ができなかったが、来日前の少数民族の居住パターンを、民族州出身、ヤンゴン出身、そして民族州からヤンゴンへ引っ越しという3つのパターンに分類し考察したところ、少数民族にはビルマ人という意識は希薄である。この点をまずは説明するべきであった。

質問2:ミャンマーではなくビルマという言葉を使用しているが、ビルマをどのような意識で使用しているのか。報告者と少数民族の間でビルマという言葉の捉え方について共通認識はあったのか。
報告者:聞き取り調査では日本に来る前と来てからの経験について述べてもらったため、ビルマ/ミャンマーをどのような意識で使用しているのかについては説明していない。ビルマ国内ではどうなのかという形で使用した。在外活動家の多くは現在の国名であるミャンマーではなくビルマを使用しているため報告者も同様にビルマを使用している。少数民族の中にはミャンマーを国名として使用する人もいる。その場合にはミャンマーを使用した。

質問3:配布レジュメには「ビルマ人」と括弧付きになっているが、括弧付きにはどういう解釈をもたせているのか。
報告者:来日前の少数民族の経歴を考察すると、それぞれ○○民族という意識はあるが、「ビルマ人」という意識があるとはいえない。ビルマ語を話したり、パスポートを持っているが、それが「ビルマ人」という意識を生み出しているとは言えない。その点を表現するため括弧付きにした。
コメンテーター:括弧付きの「ビルマ人」ではなく、ビルマ国民またはミャンマー連邦国民と表現すればこの問題は解決される。連邦国民としてのアイデンティティと民族としてのアイデンティティとどちらが優先されるかという聞き方をしていれば、はっきりと示す事ができた。ミャンマーとビルマについて、なぜこの問題が生じたのかという説明とともに、ビルマを使う理由を示すべきである。

質問4:「ビルマ少数民族」「在日ビルマ人」も同様にそれぞれの少数民族が、ビルマ国籍をもつ少数民族であり、日本に在住するビルマ国籍をもつ人という認識をもつようになったという意味で使っているのか。
報告者:その意味で使用している。

質問5:来日時に少数民族はミャンマー連邦共和国のパスポートを持っているはずであるが、それでも少数民族にはビルマ国民としての認識がなかったといいきれるのか。
質問6:組織としてどう看板をたてるかという点を議論していたのではないか。
報告者:組織のあり方を議論したかったが、そこにいたるまでの説明がきちんとできていなかったために変容したという点が証明できなかった。短時間で出国準備をする場合にはブローカーにパスポート手配を依頼するが、仮名のパスポートの場合もあり、パスポートとアイデンティティは一致しない場合もある。ミャンマー国籍のパスポートを持っていればミャンマー/ビルマ国民という認識をもっているとは言いきれない。
コメンテーター:少数民族の居住パターンに分類して得た結果として、来日後に周りから「ビルマ人」と扱われ最終的にビルマという国家の枠組みの中の少数民族だと意識するようになったという点を説明するべきだ。

質問7:少数民族が作ったAUNにはロヒンギャは入っていない。また一民族につき一組織が参加している。このように参加していない組織をどう扱かうのか。
報告者:AUN設立当初は一民族一組織という方針だったが、現在では同じ民族の複数の組織が参加している。参加していない組織については今後調査していきたい。

(文責:梶村美紀)
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