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2014年度第6回(1月)関東例会のご案内

2014年度第6回関東例会(1月)を下記の日程で行います。

〈2014年度第6回関東例会(1月)〉
日時:2015年1月24日(土)(13:30~17:45)
会場:会場:東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

〇第一報告(13:30~15:30)
報告者:細淵倫子氏(首都大学東京人文科学研究科 博士後期課程、日本学術振興会特別研究員DC2)

報告題目:
「都市カンプンにみるブタウィの存在とその多様性―2014年ジャカルタ都市カンプン・フィールド調査「起源についての語り」の記録から」

コメンテーター:イルマヤンティ・メリオノ教授(インドネシア大学)

報告要旨:

ブタウィとは、バタフィア(現在のジャカルタ)の都市開発とともに形成されたエスニシティである。ブタウィの発生に関する研究によると、このブタウィは、17~19世紀に形成されたといわれており、バタフィア成立以降のジャカルタにおいて、都市カンプンという空間に居住し、伝統を保持した生活をしているとされている。そのため、ブタウィの属性は植民地期に想像された多様な民族の集合体が「1つになったもの」であり、現ジャカルタ住民の「原住民」として植民地以降から変わらない画一的な存在として認識されている。しかし、実際調査を進めてみると、現ジャカルタの都市ではブタウィが存在しないカンプンも多く見られる一方で、各地域のブタウィの「起源についての語り」やその後のアイデンティティの属性に相違点がみられた。
そこで、本報告は、ジャカルタのカンプン住民を対象とした聞き取り調査の結果のなかで、とりわけブタウィの「起源についての語り」について着目し、現在のジャカルタ社会のエスニシティの多様性のありようとブタウィとの関連について報告を行う。この試みは、21世紀変わりゆく都市カンプンの現状や特性を理解するだけでなく、ブタウィ、あるいは、都市ジャカルタ、インドネシアにおける、「共存」の在り方に関する現在性に新たな一知見を提示するであろう。


〇第二報告(15:45~17:45)

報告者:岡本 義輝氏(宇都宮大学 国際学部附属 多文化公共圏センター研究員)

報告題目:
「マレーシアの日系R&Dのローカル化が進まない原因と本社側の根本要因」

コメンテーター:森 哲也氏(日栄国際特許事務所 代表)

報告要旨:

(1)マレーシアの日系R&Dのローカル化が何故進まないのか?
 2003年からの10年間で約40回訪馬し、延べ1500社を訪問した。約2000人と面談した結果、次のことが分かった。モトローラ社等の外資系R&Dは、本国人がほゞゼロでローカル化されている。一方日系R&Dは約10%の日本人が基本設計とマネジメントを行っている。日系の採用政策や処遇が外資系に比べて著しく劣っている。その原因は、本社の①中央集権的な海外R&D統治、②海外現地法人の評価は「売上/利益/品質/納期」のみで「R&Dの改革」等を評価せず、③平等主義、にある。
(2)根本要因は本社にあり(家電3社を中心に分析)
 2013年度(2014年3月期)の家電3社の海外売上比率はソニー72%、シャープ61%、パナソニック50%である。しかし3社は1980年代の日本国内での販売比率が高かった時代の企業統治を続けており、海外に重点を置いた統治に変更すべきである。それは④売上が5割を超えた海外事業に注力する、⑤エース級の人材を海外に派遣する、⑥海外R&Dは本社から自律した活動を出来るようにする、等である。

2014年度第5回(11月)関東例会のご案内

第5回関東例会(11月)を下記の日程で行います。

〈2014年度第5回関東例会(11月)〉
日時:2014年11月22日(土)(13:30~17:45)
会場:会場:東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

〇第一報告(13:30~15:30)

報告者:エリザベス・エスター・フィブラ・シマルマタ氏 (東京外国語大学大学院 総合国際学研究科 博士後期課程 言語文化専攻)

報告題目:
「現代ジャワ若者におけるジャワ語の敬語使用の状況―ジョグジャカルタ特別州の高校生による敬語運用の実態調査―」

コメンテーター:原真由子氏 (大阪大学 言語文化研究科 言語社会専攻 准教授)

報告要旨:
 多民族国家のインドネシアでは、500以上の言語が話されており、そのうち14の言語は話者人口が100万人を超える(Sneddon 2003)。公用語であるインドネシア語のほかに地方語(民族語)も使われており、二言語話者bilingualが多く見られる。特にジャワ語は、話者数が最も多い地方語であり(人口の約4割)、敬語を有する点で複雑な規範を持っている特徴的な言語とされる。ところが、近年、ジャワ語の敬語が使用できない若者や敬語の使用を避ける若者が増えているなど、現代ジャワの若者の敬語離れが指摘されている。しかし、若者自身の敬語認識や敬語の運用実態に関してはこれまで実証的な調査はなされてこなかった。そこで、本報告では、ジャワ人住居者が約9割以上であるジョグジャカルタ特別州において、農村部と都市部の高校生814人に対し2014年に実施した、敬語の運用実態に関する調査の結果を分析する。現代ジャワの若者が規範的な敬語が使用できなくなっているという現状を実証するために、敬語の運用実態を測るアンケートとインタビューを用いて、その正誤用法に関する実態調査を行い、若者の敬語使用の傾向を明らかにする。報告者はこれまでにジョグジャカルタのガジャマダ大学において、より知識を持つと考えられる大学生、さらに大学の教員への調査を実施した。高校生に対して実施した調査から明らかになった結果と比較することで、現代ジャワの若者におけるジャワ語の敬語使用の状況とその社会的意味を明らかにする。

〇第二報告(15:45~17:45)

報告者:長津一史氏 (東洋大学社会学部 准教授)

報告題目:
「研究工具としての空間情報―インドネシアとフィリピンの民族動態を題材に」

コメンテーター:加藤剛氏 (京都大学名誉教授・東洋大学アジア文化研究所客員研究員)

報告要旨:
 インドネシアとフィリピンが2000年に実施し、数年後に公表した人口センサスは、両国独立後はじめての有用な人口情報を提供するものであった。特に電子版のセンサスは、いずれの国のものもきわめて詳細であり、民族や宗教をはじめとする基本属性や移住歴等の情報を、個人単位(インドネシア)または村落単位(フィリピン)のレベルまで探ることを可能にした。また、2000年代のインドネシアでは、国家土地調査調整局(BAKOSURTANAL)を中心に、地理情報システム(GIS)データの整理も急速に進められた。GISデータは電子版センサスのデータに連繋させることが可能であり、結果、人口データを空間的に把握することが著しく容易になった。
 こうした資料状況の変化にもかかわらず、インドネシアとフィリピンの人文・社会科学の研究領域では、いまだ人口センサスやGISデータを研究工具として利用することは少ない。本報告では、インドネシアとフィリピンにかかわる人文・社会科学の研究工具としての空間情報――センサス、GIS、地図――とそれらを用いた視覚表現の方法について報告する。具体的には、「民族」に焦点をおきながら、2か国の電子版2000年センサスの内容・構成・使用法、GISや他の地図を用いたセンサス情報の地図化・概念図化の技法について説明する(ソフトとしては、マイクロソフト社のAccessとESRI社のArc GISを用いる)。ところで報告者は、センサスやGISのようなマクロ・データのみで東南アジアの社会・文化現象を理解できるとはもちろん考えていない。鳥瞰図を描くための研究工具は、微視的なフィールドワークや史料調査を土台として使ったときに、はじめてオリジナリティのある視点・接近法を導く。こうした認識をふまえて報告の最後では、「インドネシア海域における海民バジャウ人の生成過程」をテーマとする報告者の研究を紹介し、研究工具としての空間情報の利用可能性を考えてみたい。

2014年度第4回(10月)の関東例会のご案内

2014年度第4回関東例会(10月例会)についてのお知らせです。
多くの方々のご参加をお待ちしております。

今回は、以下の二報告です。

第一報告:遠藤 正之(えんどうまさゆき)会員による「17世紀オランダ東インド会社・カンボジア間関係再考:『第二次友好平和条約』締結とその意義の検討から」

第二報告:小泉 佑介(こいずみ ゆうすけ)会員による 「スハルト政権期の農業:農村開発政策における商品作物栽培の位置づけ」

詳細は下記をご覧下さい。

<2014年度10月関東例会>
日時:2014年10月25日(土)13:30~17:45
会場:東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

☆第一報告(13:30~15:30)
報告者:遠藤 正之(立教大学アジア地域研究所・研究員)
コメンテーター:北川香子先生(学習院大学・青山学院大学非常勤講師)
報告題:「17世紀オランダ東インド会社・カンボジア間関係再考:『第二次友好平和条約』締結とその意義の検討から」

<報告要旨>
オランダ東インド会社(VOC)は、1657年にカンボジアと友好平和条約(第一次条約と呼ぶ)を結び、同国との交易を再開した。しかし、1658年にカンボジアで王族の反乱が起き、それに伴う広南阮氏のカンボジア侵入によりオランダ商館は焼き討ちを受け、再びカンボジアとVOCの関係は断絶した。しかし、VOCにとって最大の利益を上げていた対日本交易に必要な諸産品を入手するために結んでいたアユタヤとの関係が悪化し、VOCはカンボジアと再び関係を結ぶ必要に迫られた。その結果、1664年11月から交渉が開始され、翌65年2月に再び友好平和条約(第二次条約とする)が締結された。しかしながら、第二次条約と第一次条約の条文を見ると、多くの相違点が存在する。両条約締結間に生じた諸情勢の変化や、第一次条約締結の際のVOC側の反省などが反映されたものと考えられる。本報告では1658年王族反乱から第二次条約締結に至るまでの過程を、VOC文書をはじめとするオランダ語史料を用いて分析し、同条約締結がカンボジア・VOC双方にとってどのような意義を持ったかについて考察する。

☆第二報告(15:45~17:45)
報告者:小泉佑介(東京大学大学院総合文化研究科 博士後期)
コメンテーター:加納啓良先生(東京大学名誉教授)
報告題:スハルト政権期の農業・農村開発政策における商品作物栽培の位置づけ

<報告要旨>
現在,インドネシア政府は輸出指向型工業化を進める一方で,豊富な自然資源を利用した商品作物栽培の拡大を促進している。特に,19世紀末から続く外島部(スマトラ島やカリマンタン島)でのゴムやアブラヤシ栽培は,スハルト政権下で大きな転換期を迎えた。しかしながら,スハルト政権期の農業・農村開発政策に関する先行研究は,米を中心とした食糧作物の増産政策に着目したものが多く,同時期の商品作物栽培に関する政策の変化を対象とした研究は少ない。そのため,現在,外島部で急速に拡大する商品作物プランテーションの動向を理解するためにも,スハルト政権期の農業・農村開発政策における商品作物栽培の位置づけを明確にする必要がある。
そこで,本報告では,1968~1998年における農業・農村開発に関する年度ごとの報告書や統計データ,同時期の世界銀行が発行したプロジェクト・レポートを主たる分析対象とし,スハルト政権期の商品作物栽培に対する政策がどのように変化したのかを報告する。また,そうした変化が,現在の外島部におけるプランテーション拡大にどのような影響を与えているかを検討する。


終了後、懇親会を用意しております。

2014年度第3回(6月)の関東例会のご案内

2014年度第3回関東例会・6月例会のご案内を致します。

今回は、久礼 克季(くれ かつとし)会員による「17世紀ジャワ北岸地域の華人とマタラム王国」およびNHIM SOTHEAVIN(ニム ソテイーヴン)会員による ”Factors that led to the change of the Khmer Capital from Angkor to the South from the 15th century onwards”の2報告です

詳細は下記をご覧下さい。多くの方々のご来場をお待ちしております。


<2014年度6月例会>
日時:2014年6月28日(土)13:30~17:45
会場:東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

☆第一報告(13:30~15:30)
報告者:久礼 克季(立教大学アジア地域研究所特任研究員)
コメンテーター:鈴木 恒之(東京女子大学名誉教授)
報告題:「17世紀ジャワ北岸地域の華人とマタラム王国」

<報告要旨>
 17世紀にジャワ北岸地域で活動した華人は、この時期のジャワ史の展開を方向づけるうえで重要な役割を果たした。当該の時期、多くの華人は、出身地との関係を維持しながらジャワ島での貿易活動に参入し、自らムスリムとなって現地人の女性と家族を形成しながら貿易を行い、富を蓄積した。また、同世紀にジャワの貿易に参入したオランダ東インド会社とも関係を構築した。
 こうした華人は、この時期に内陸部から北岸地域へと勢力を拡大したマタラム王国の経済活動に重要な意義を持つに至る。同王国は、特に東インド会社との貿易を行ううえで北岸地域の華人を活用し、米や塩、木材、さらにはこの時期に初めて栽培と生産が行われる砂糖の輸出を中心に貿易を展開させた。これらの貿易を通じて構築された両者の関係をもとに、同王国は、華人を経済活動において利用して、17世紀末まで集権的政策を進めた。
 本報告は、こうした17世紀におけるジャワ北岸地域の華人とマタラム王国との関係について、オランダ東インド会社文書をはじめとするオランダ人の記録を主に用いて検討する。


☆第二報告(15:45~17:45)
報告者:NHIM SOTHEAVIN(上智大学アジア文化研究所・共同研究所員)
コメンテーター:北川香子(学習院大学・青山学院大学非常勤講師)
報告題:Factors that led to the change of the Khmer Capital from Angkor to the South from the 15th century onwards
報告言語:英語

<報告要旨>
There have been a variety of factors that scholars working
on Cambodian history have proposed as a hypothetical cause of the change of
the Khmer capital from Angkor to southward locations (such as Srei Santhor,
Longvek, and Oudong) from the 15th century onwards. All these factors
contributed to a significant drop in the Cambodia’s political power,
leading to a gradual change in land use and a decline in agricultural
production. However, a determining factor seems to have been the rise of the
Sukhothai (Siam), which challenged Cambodia’s political and military
domination, and in particular its domination over the religious orthodoxy,
where Brahmins hitherto exerted their influences. It was during the “Middle
Period”, namely from the 14th to 18th centuries, that Cambodia adopted
Theravada Buddhism that came from Siam, giving rise to changes in
Cambodia’s philosophical and religious orientations.

It has been largely suggested that the purpose of the
southward change of the capital was on account of frequent Siamese
invasions. On the other hand, some argue that the purpose of moving the
capital to the south was to come closer to the sea so that its location
became more convenient for trade with foreign countries. The aim of this
presentation is not to disregard the above-mentioned hypotheses, but rather
to probe all possible factors for reconstructing the missing parts of
Cambodian history. In addition to earlier hypotheses, this study attempts
to consider other factors that can contribute to the reconstruction, among
which agriculture is a main factor.

Thus, I would like to propose a working hypothesis that three major factors
weighed heavily in the decision on the move of the Khmer capital.

1. A political factor, which can be internal (such as the usurpation of a
reign, or dispute over the succession to the throne), or external (such as
the collapse of power due to either a single or a long series of foreign
invasions). Presumably both were often combined.

2. An economic factor, mainly in the field of trade, such as a desire to
find a new fluvial anchorage or develop an existing one in relation to
other river or maritime ports, both national and international.

3. An economic factor, in particular of agricultural nature, in the form of
a desire to reclaim additional or long deserted land.

This study is principally based on information gained from the Cambodian
Royal Chronicles in Khmer, Rājabaṅsāvatār, with reference to a variety of
external sources. On-site field research was also carried out to discover
examples of archeological remains and geographical aspects.


終了後、懇親会を用意しております。
多くの方のご来場をお待ちしております。

2014年度第2回(5月)の関東例会のご案内

2014年度第2回関東例会・5月例会のご案内を致します。

今回は、松浦史明会員による「アンコールの彫像にみる個人崇拝とその展開――刻文史料の検討から」および、久志本裕子会員による「現代マレーシアと周辺諸国におけるイスラーム学習とスーフィズム:イスラーム学習の変容と新たな超域ネットワークの形成」の2報告です。


詳細は下記をご覧下さい。多くの方々のご来場をお待ちしております。


<2014年度5月例会>
日時:2014年5月24日(土)13:30~17:45
会場:東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース(※ 前回は4階でしたが、今回は5階です。ご注意下さい)
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

☆第一報告(13:30~15:30)
報告者:松浦史明氏(上智大学/日本学術振興会特別研究員PD)
コメンテーター:肥塚隆先生(大阪大学名誉教授)
報告題:「アンコールの彫像にみる個人崇拝とその展開――刻文史料の検討から」

<報告要旨>
アンコール・ワットに代表されるいわゆるクメール様式の建築物群を遺したアンコールは、主に9~14世紀の東南アジア大陸部に一大勢力を築いたとされる。しかし、アンコール史の主要な文字史料は宗教施設・儀礼の付随物としての刻文史料に限られるため、その統治のあり方についても王の神聖性を核とした神 権政治的な文脈で理解されてきた。
「アンコール最後の大王」として知られるジャヤヴァルマン7世の時代(1181~1214年頃)に王の「肖像」が造像・安置されたという定説は、王を崇拝対象とするアンコールの権力概念についてのキー・イメージを提供している。
本報告では、刻文史料にみられる造像の事例を検討し、彫像を含む崇拝対象物に人間性を込める伝統とその展開を明らかにする。特に、古クメール語刻文にみられる個人の「ルーパ(彫像、姿)」を造像する事例に焦点をあて、個人崇拝が王のみに与えられた特権ではなかったことを明らかにするとともに、キー・イメージとしてのジャヤヴァルマン7世時代の特異性を指摘する。


☆第二報告(15:45~17:45)
報告者:久志本裕子氏(上智大学、日本学術振興会特別研究員RPD)
コメンテーター:長津一史先生(東洋大学社会学部准教授)
報告題:「現代マレーシアと周辺諸国におけるイスラーム学習とスーフィズム:イスラーム学習の変容と新たな超域ネットワークの形成」

<報告要旨>
マレーシアの伝統的イスラーム学習は、中東と東南アジアをつなぐ師弟関係のネットワークを通じて形成されてきた。この師弟関係と学習のネットワークにおいて、イスラームの内面的、精神的側面を伝えるスーフィズムは重要な位置づけを与えられていた。しかし、近代的学校教育の普及とイスラーム学習のあり方の変容に伴い、師弟関係のネットワークは弱体化し、スーフィズムもまた周縁化していった。ところが近年のマレーシアでは、特に都市部においてスーフィズムへの関心の高まりや、新たな師弟関係のネットワークの構築が見られる。本発表では、近年急速に活発化している、マレー世界のアラブ系学者を中心とするスーフィズム関連活動を主な事例として、現代のマレーシアでイスラーム知識がどのような形で求められ、伝えられているのかを、制度的宗教教育とは異なる視点から明らかにする。

終了後、懇親会を用意しております。
多くの方のご来場をお待ちしております。

2014年度第1回(4月)の関東例会のご案内

2014年度第1回関東例会・4月例会のご案内を致します。

今回は、北川香子会員、岡本真氏による「17~18世紀柬埔寨国書の分析」及び、髙橋昭雄会員による「ミャンマー村落社会論構築の試み」の2報告です。

詳細は下記をご覧下さい。多くの方々のご来場をお待ちしております。
なお、今回の会場は通常とは異なる「4階セミナースペース」となっております。
ご注意ください。

<2014年度4月例会>
日時:2014年4月26日(土)13:30~17:45
会場:東京外国語大学・本郷サテライト4階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

☆第一報告(13:30~15:30)
報告者:北川香子氏(学習院大学・青山学院大学非常勤講師)
岡本真氏(東京大学史料編纂所助教)
コメンテーター:松方冬子先生(東京大学史料編纂所准教授)
報告題:「17~18世紀柬埔寨国書の分析」

<報告要旨>
東京大学史料編纂所は、17・18世紀のクメール語書簡6通各2写本を所蔵している。これらは対になる漢文書簡とともに、近藤重蔵関係資料『外国関係書簡』と『外蕃書翰』に収められている。そのうち1742年に日本に送られてきた書簡は、2013年11月に開催された史料編纂所の第36回史料展覧会で展示され、その機会に報告者らが行った調査によって、『外国関係書簡』所収のものが原本に極めて忠実な写しであることが判明した。すなわち碑刻文以外では、現在知られている中で最古のクメール語文書と考えられる。残り5通は『相国寺書翰屏風』からの写しであり、1742年書簡よりも精度が劣るが、オリジナルの『相国寺書翰屏風』は「天明の大火」で焼失したとされているので、やはり『外国関係書簡』所収のものが、原本に最も近い写しということになる。今回は、これらのクメール語書簡を含めた柬埔寨国書の解読・分析によって、新しく判明した17~18世紀の日本とカンボジアの通交のあり方を報告する。

☆第二報告(15:45~17:45)
報告者:髙橋昭雄氏(東京大学東洋文化研究所教授)
コメンテーター:斎藤照子先生(東京外国語大学名誉教授)
報告題:「ミャンマー村落社会論構築の試み」

<報告要旨>
1986年から現在に至るまで、ミャンマー農村200ヵ村以上を訪ね歩き、のべ一万人を超える村人たちと語り合った経験をもとに、「ミャンマー村落社会論」の構築を試みる。日本農村研究から生まれた同族論や自然村論、東南アジア村落研究から想起された家族圏論や屋敷地共住集団論を批判的に継承し、これらの諸理論に自らのインタビュー調査を重ね合わせて、「ミャンマーにおける村とは何か」という、私自身が長年抱き続けてきた問題にとりあえずの見通しをつけてみたい。日本農村社会との比較で得た当面の結論は、「日本の村が生産の共同体であるのに対し、ミャンマーの村は消費のコミュニティである」というものである。ここに至る過程について発表し、コメンテーターをはじめとする研究会参加者の皆さんの批判を仰ぎたいと思う。

終了後、懇親会を用意しております。
多くの方のご来場をお待ちしております。
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