FC2ブログ

2015年度第6回関東例会(1月)

2015年度1月関東例会を1月23日(土)に開催いたします。

今回の報告は、下條尚志会員による「脱植民地化過程のメコンデルタにおけるクメール人の言語・仏教・帰属」と、渋谷節子会員による「ベトナム•メコンデルタの都市で働く若者と農村の家族」です。

詳細は以下をご覧ください。多くの方のご参加をお待ちしております。

2015年度1月関東例会

日時:2015年1月23日(土)(13:30~17:45)

会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナースペース(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

☆第1報告(13:30~15:30)
報告者 : 下條尚志 (京都大学大学院・研究員)
報告題目 : 「脱植民地化過程のメコンデルタにおけるクメール人の言語・仏教・帰属」
コメンテーター : 五島文雄(静岡県立大学国際関係学部国際言語文化学科・教授)

報告要旨:フランス植民地統治が終焉を迎えた20世紀半ば、メコンデルタのクメール人達は、南ベトナム,カンボジアという2つの国家と関わらざるを得なくなった。両地域が植民地として超域的に統合されていた仏領期、かれらは、クメール語や上座仏教を通じ、メコンデルタからカンボジアにかけて生成されていた広域的な社会環境のなかに生きていた。しかし、この社会環境は、フランスに代わって新たにメコンデルタを統治することになった南ベトナムのゴー・ディン・ジエム政権の統治によって、次第に変化を余儀なくされる。ジエム政権は、国籍変更や公立学校でのクメール語教育の廃止、従来のクメール人政治組織、仏教組織の再編を図り、メコンデルタのクメール人とカンボジア社会との紐帯を国境線で断絶しようとしたのである。この統治への不満は、カンボジア社会との従来の関わりに価値や利益を見出していた上座仏教界や住民達の間で高まってゆき、やがて反政府運動に身を投じる者も現れていった。本論は、メコンデルタ沿岸部ソクチャン省の一地域社会における言語・仏教・帰属という問題に焦点を当て、新たな国民国家が形成される過程で、住民達と新興国家との間で生じた軋轢について考察するものである。


☆第2報告(15:45~17:45)
報告者 : 渋谷節子(星槎大学共生科学部・教授) 
報告題目 : 「ベトナム•メコンデルタの都市で働く若者と農村の家族」
コメンテーター : 古屋博子(放送大学・非常勤講師)

報告要旨:
メコンデルタの農村では共同体意識が低く、家族が社会的、経済的位として重要な役割を果たしていることが、これまでの研究からわかっている。農業は家族単位で行われ、特に自由市場経済化のもとで競争が激しくなる中、家族の重要性も増して来た。しかし、近年、消費文化の浸透と現金収入の必要性から農業を離れ都市で仕事に就く若者が急増している。こうした新たな仕事がどのように農村の家族のあり方に影響しているかを知るために、2014年と2015年にカントー市(旧カントー省)ロントゥエン村から街に働きに出ている若者とその家族を対象としたインタビュー調査を行った。その結果、多くの若者が収入を利用して農村の家族のためにさまざまな消費財を購入していること、また、上司や同僚といった都市の仕事で築いた新たな社会関係も、農村の生活でも活用されるようになっていることがわかった。若者達が農業以外の仕事を通して経験している消費文化や社会関係は、一方では従来の農村の家族生活に取り込まれながら、他方ではそのあり方を変化させていると言える。

例会の終了後に、同会場にて懇親会を予定しております。

***

ご不明な点などございましたら、関東例会委員メールアドレスまでご連絡ください。
kanto-reikai☆tufs.ac.jp
(☆の部分は@マークにしてください)

多くの方のご参加をお待ちしております。

関東例会委員

2015年度第5回関東例会(11月)

東南アジア学会会員の皆様

2015年度11月関東例会を11月28日の土曜日に開催いたします。

今回の報告は、南波聖太郎会員による「社会主義国家建設の準備過程におけるラオス人民党の政治的主体性:1960年代半ばの「解放区国家化政策」とベトナムとの「特別な関係」」と、平田晶子会員による「ラムをめぐる芸能・宗教実践―タイ・ラオスのモン・クメール系住民の旋律世界」です。

詳細は以下をご覧ください。多くの方のご参加をお待ちしております。

2015年度11月関東例会
日時:2015年11月28日(土)(13:30~17:45)

会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html(会場アクセス)

○第1報告(13:30~15:30)

報告者: 南波聖太郎氏
(東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程/日本学術振興会特別研究員DC2)

報告題目
社会主義国家建設の準備過程におけるラオス人民党の政治的主体性:1960年代半ばの「解放区国家化政策」とベトナムとの「特別な関係」

コメンテーター
菊池陽子氏(東京外国語大学・准教授)

要旨:
ラオス人民党は、ラオスの民族解放を目指して1955年に結成されたが、幹部の大半は元インドシナ共産党員であり、「特別な関係」の名の下で「兄弟党」であるベトナム労働党からの支援が行われた。ラオスでは国内諸勢力の連合による中立化も試みられたが、第2次連合政府が崩壊し、米国による空爆が本格化した60年代半ば、党は「解放区国家化政策」を提唱し、自らの支配地域(解放区)において社会主義的な経済・文化政策を本格的に実施して行政機構、教育や経済の体制等を建設し、それらは75年以降の一党支配体制の基礎となった。同時に、その過程で顕在化する問題、特に慢性的な人材不足の解決を図るため、「専門家」と呼ばれるベトナム人の招聘、党員等の北ベトナムへの留学といった形でのベトナム労働党との協力が一層強化されたが、責任の所在や「専門家」の資質に関してなど、協力関係の在り方に対する問題提起もされるようになった。

○第2報告(15:45-17:45)

報告者: 平田晶子氏
(京都文教大学総合社会学部/日本学術振興会特別研究員PD)

報告題目
「ラムをめぐる芸能・宗教実践―タイ・ラオスのモン・クメール系住民の旋律世界」

コメンテーター
綾部真雄氏(首都大学東京・教授)

要旨
 本報告はグローバルな状況下での歌謡と宗教実践の民族誌を試みるものである。ラムとは、タイ東北地方とラオスで歌い継がれる現地の伝統的な歌謡を意味しており、その歌い手をモーラムと呼ぶ。ラムは、冠婚葬祭、法事、新築祝いなどにモーラムが招かれ、芸能として歌われるだけではなく、同じタイプの旋律を用いた歌が民間治療や精霊祭祀でも歌われることから、芸能・宗教実践として捉えることができる。しかし、近年では、タイとラオスの両国における法整備の影響を受け て、新たな展開を見せている。例えば、著作権法によってCDやDVDとなって商品化された「ラム」の創作活動に対して規制がかかるようになったことや、さらには医療法により、民間医療活動に対して、制限が加わるようになっている。それだけではなく、2000年代以降、村落社会において活躍するモーラムが、ネット上 に広がるヴァーチャル・コミュニティにおいても活動の領域を広げ、新たな音楽芸能活動に従事する現象が見られる。
 以上のようなラムをめぐる現状を鑑み、先行研究がこの芸能をラオのエスニック・アイデンティの核として扱う傾向が多かったことに対し、本研究は捨象されてきたモン・クメール系のラムの生活世界に焦点を当てながら、グローバル状況下のラムをめぐる芸能・宗教実践のダイナミズムを考察する。報告ではまずラムが上座仏教社会と、祖先崇拝や精霊信仰から成るアニミズム信仰社会で歌われていることを示す。さらに、ラムは村落社会や国民国家の内部に留まるだけでなく、国外へ逃亡した難民ディアスポラ等がネット上で形成するヴァーチャル・コミュニティでも流通・消費されている状況に着目する。本報告では、こうした上座仏教社会、アニミズム信仰社会、ヴァーチャル・コミュニティという3つの社会空間には音楽活動の存続を衰退させるどころか強化し合うようなラムの旋律を通じて相互関係があることを明らかにする。

例会終了後に懇親会を予定しております。

ご不明な点などございましたら、関東例会委員(kanto-reikai*tufs.ac.jp)までご連絡ください。(*は、@)
多くの方のご参加をお待ちしております。

関東例会委員

2015年度第4回関東例会(10月)

2015年度第4回関東例会(10月24日)のご案内を致します。

今回は、ウィンダ・スチ・プラティウィ会員による「インドネシアにおけるコスプレ・コミュニティの形成と発展」と、舛谷鋭会員による「シンガポールの戦争の記憶とダークツーリズム:ナショナルアイデンティティをめぐって」の2報告です。

多くの方のご参加をお待ちしております。

【日時・会場】
日時:2015年10月24日(土)13:30~17:45
会場:東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

【内容】
〇第1報告(13:30~15:30)
報告者:ウィンダ・スチ・プラティウィ(Winda Suci Pratiwi)(桃山学院大学大学院文学研究科修士課程)

報告題目:「インドネシアにおけるコスプレ・コミュニティの形成と発展」

コメンテーター:青山亨(東京外国語大学・教授)

報告要旨:
現在、インドネシアで人気となっている日本の大衆文化の一つであるコスプレのファンが増え、各地方に数多くのコスプレ・コミュニティ(komunitas cosplay)が結成されている。インターネットやマスコミを通してコスプレに関する情報が地方に広まり、コスプレ・コミュニティはインドネシアの若者の間で新しいタイプのグループとなっている。今日開催される日本関連のイベントではコスプレは不可欠だと考えられていて、コスプレをまったく知らないというインドネシアの若者は皆無と言っても過言ではない。基本的にコスプレ・コミュニティの活動はイベントとコスプレ・ファッションの製作に関連する。学校(大学と高校)やモールなどで頻繁に開催されるイベントによって、コスプレ・コミュニティの活動範囲は広がっている。コスプレ・コミュニティが現在に至るまでどのように形成され、発展したのか明らかにすることは、現代インドネシアの若者文化を理解する上で大きな意義がある。この発表では、コスプレ・コミュニティに焦点を当て、インドネシアにおけるコスプレ文化の受容の実態を明らかにしたいと考えている。


〇第2報告(15:45~17:45)
報告者:舛谷鋭(立教大学観光学部交流文化学科・教授)

報告題目:「シンガポールの戦争の記憶とダークツーリズム:ナショナルアイデンティティをめぐって」

コメンテーター:千住一(立教大学観光学部交流文化学科・准教授)

報告要旨:
シンガポール首相、リー・シェンロンは建国50周年に当たり、今後の短期10年・中期25年・長期50年のチャレンジとして、それぞれ経済発展、高齢化対策、ナショナルアイデンティティを挙げている。マレー大国にはさまれた「紅」点に過ぎないシンガポールは、この半世紀で経済機構としては日本を凌ぐアジアトップの一人当たりGDP等、「第三世界から一流国入り」を果たしたが、500余万の人口のうち、4割近くを新移民または一時滞在者が占めるなど、アイデンティティ共有面で不安を抱える。本発表は、日本軍政期を中心とした戦跡やオーラルヒストリー、文学作品の中の戦争の記憶を対象に、シンガポールのアイデンティティ問題を「ダークツーリズム」の視点から、建国50年前後を含む1年間の南洋理工大学での在外研究で得た知見を元に分析する。

***

・例会終了後には懇親会をご用意しております。こちらもぜひご参加ください。
・お問い合わせは関東例会委員会のメールアドレス(kanto-reikai*tufs.ac.jp)までお願いいたします。(*を@に変えてお送りください。)

2015年度第3回(6月)関東例会のご案内

2015年度第3回関東例会(6月)のご案内をいたします。

今回は、北村由美会員の発案による「インドネシアと香港のメディアにみられるインドネシア華人の「帰国」」と題したシンポジウム形式で開催致します。
内容は、津田浩司会員による「インドネシア華人の「帰国」をめぐる言説空間: Star Weekly誌(1958年~60年)の分析を中心に」、および、芹澤知広会員による「香港の新聞『大公報』再読:1959年から61年にかけての記事から見たインドネシア華人」の2報告です。

詳細は下記をご覧下さい。多くの方々のご来場をお待ちしております。

<2015年度6月例会>
日時:2015年6月27日(土)13:30~17:45
会場:東京外国語大学・本郷サテライト5階セミナースペース(※ 前回は4階でしたが、今回は5階です。ご注意下さい)
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html

シンポジウム:インドネシアと香港のメディアにみられるインドネシア華人の「帰国」

☆プログラム
 13:30~13:50 趣旨説明:北村由美(京都大学附属図書館研究開発室・准教授)
 13:50~14:35 第一報告:津田浩司(東京大学大学院総合文化研究科・准教授)
  「インドネシア華人の「帰国」をめぐる言説空間:
           Star Weekly誌(1958年~60年)の分析を中心に」
 14:35~14:45 質疑応答
 14:45~15:00 休憩
 15:00~15:45 第二報告:芹澤知広(奈良大学社会学部・教授)
  「香港の新聞『大公報』再読:1959年から61年にかけての記事から見たインドネシア華人」
 15:45~15:55 質疑応答
 15:55~16:10 休憩
 16:10~16:30 コメント:原不二夫先生(南山大学元教授)
 16:30~17:45 総合討論

☆趣旨説明(北村由美)
<全体趣旨>
 本報告は、戦後アジアにおける最大規模の国際移動の一つに数えられる、1960年代初頭のインドネシアから中国への華人の「帰国」をめぐって、送り出し側のインドネシアと受入れ側の中国(香港)におけるメディア分析の結果を中心に報告する。
 第二次世界大戦後、インドネシアが、植民地体制からの脱却、冷戦下における権威主義体制、そして民主化というように幾度も体制転換を経てきた。政治体制が転換する中で、複雑に絡み合った「包摂」と「排除」の対象となった華人の中には、オランダ、中国、台湾、シンガポール、オーストラリア、アメリカなど、他国への移動を試みた人が少なくない。中でも、「大統領令1959年10号」の発令によって、外国籍保持者が村落部における商業活動を禁止されたことで起こった混乱によって、1960年代初頭に中国に「帰国華僑」として移動したインドネシア華人は10万人にのぼるとされるが、その詳細はまだ十分に検討されていない。
 本報告では特に、当事者達が、どのような状況で、何を選択したか。また移動した当時、移動先においてどのように受け止められていたかといった点に、焦点をあてる。最初に趣旨説明を行い、共同調査から見えてきた当時の状況などを報告する。その後、第一報告によって、当時のインドネシアにおいて、華人社会のオピニオン形成に影響力を持っていたStar Weekly誌の記事分析を通し、インドネシア華人の言説空間の中に「帰国」問題を位置づける。引き続き第二報告では、香港の中国語新聞『大広報』の分析を通し、「帰国」後の中国人(華人)社会において、「帰国華僑」がどのように注目されていたかを明らかにする。これらの報告を通して、「帰国」の背景と帰国をめぐる言説、そして「帰国」後の華人の営みを複眼的に位置づけし、提示することが本報告の目的である。
 なお、本報告は、科学研究費基盤研究(B)「20世紀アジアの国際関係とインドネシア華人の移動」(代表:北村由美)[平成24年度-27年度]の成果の一部である。

☆第一報告(津田浩司)
報告題:インドネシア華人の「帰国」をめぐる言説空間: Star Weekly誌(1958年~60年)の分析を中心に
<報告要旨>
 インドネシアでは、1959年に出された大統領令第10号(PP10)に伴い、生業を失った多数の華人が中国へと「帰国」することとなった。こうした事態を跡づけるにあたって、国際関係論的ないし政治学・政策論的に分析することと、移動するか否かの選択を迫られた人々が一体どのような情報に接していたのかを理解することとは、全く別のことである。本報告は後者、すなわち当時のインドネシア華人社会の言説空間に部分的に接近すべく、主に週刊誌Star Weeklyに掲載された記事(1958年4月~60年7月)を中心に取り上げ紹介する。
 Star Weekly誌は、当時華人系のインドネシア語日刊紙としては『新報(Sin Po)』と並び称される『競報(Keng Po)』社が発行していた総合雑誌であり、後に同国最大の日刊紙Kompasを創刊することになるP.K.Ojongが編集長を務めていた。インドネシア・ナショナリズムの観点からPP10を明確に支持する立場を取っていた同誌の論調は、上述のSin Po紙等とは一線を画すものであり、それゆえ本報告によってインドネシア華人社会の言説空間の全貌が再構築されるわけでは決してない。しかしながら、これら雑誌の記事を丹念に追いつつ人々が接していたであろう具体的情報を把握していく作業は、結果的に国外へと移動することになった人々、あるいは国内に留まった人々の動因を、当人の「華人アイデンティティ」の有無の問題へと安易に帰着させないためにも、重要なことである。

☆第二報告(芹澤知広)
報告題:香港の新聞『大公報』再読:1959年から61年にかけての記事から見たインドネシア華人
<報告要旨>
 本報告は、香港の中国語新聞『大公報』の1959年から61年にかけてのインドネシア華人関係記事を検討し、先行研究が焦点をあててはこなかった興味深い内容を紹介することを目的としている。『大公報』は1902年に中国・天津で創刊され、1930年代から40年代にかけては中国各地で地方版が発行された。その香港版は、1948年に天津版を引き継ぐかたちで復刊したが、その時に上海から香港へ移った重要人物のなかに中国共産党の地下党員がいたことから、後には「左派」としての立場を明らかにした。そのため冷戦時代の香港において『大公報』は、『文匯報』と並び、代表的な中国共産党のプロパガンダ新聞であり、「西側」のチャイナウォッチャーの重要な情報源であった。当時の『大公報』は、読者である香港の住民にとっての身近な関心事である、華僑の生活や中国と東南アジアとの貿易などの記事を多く載せており、今なお参照に値する興味深い資料と考えられる。

終了後、簡単な懇談会を予定しております。
多くの方々のご来場をお待ちしております。

2015年度第2回(5月)関東例会のご案内

2015年度第2回関東例会(5月)を下記の日程で行います。

今回の報告は、坪井祐司氏による「1930年代の英領マラヤにおけるマレー人の地位をめぐる論争:ジャウィ新聞『マジュリス』の分析から」、高橋塁氏による「近代精米技術の導入と仏領インドシナ―米市場の発展要因再考―」です。

多くの方のご参加をお待ちしております。

〈2015年度第2回関東例会(5月)〉
日時:2015年5月16日(土)(13:30~17:45)
会場:東京外国語大学 本郷サテライト4階セミナースペース
http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html(会場アクセス)

〈第一報告)(13:30~15:30)
報告者:坪井祐司氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所研究機関研究員)

報告題目:「1930年代の英領マラヤにおけるマレー人の地位をめぐる論争:ジャウィ新聞『マジュリス』の分析から」

コメンテーター:左右田直規氏(東京外国語大学大学院総合国際学研究院・准教授)

報告要旨:
1930年代の英領マラヤにおけるマレー人の地位をめぐる論争について、ジャウィ(アラビア語表記のマレー語)の新聞『マジュリス』の分析を通じて再検討する。
マラヤでは、1930年代にイギリスによるマレー人の行政的優遇政策の是非をめぐって官民あげての論争が展開された。この論争の焦点は、優遇を受けるマレー人の資格、すなわちマレー人とはだれかという「マレー人性」にあった。
マレー語紙『マジュリス』はマレー人の主張を代弁すると同時に、主に英語紙による他民族からのマレー人に対する批判を頻繁に引用・反論した。そこから、反対派の主張をもうかがうことができ、多民族社会のマラヤにおける言語、都市をまたいだ言論空間の存在が明らかになる。
この論争は現在の公的なマレー人の定義にも影響を与えており、人口流動性の高いマレー半島の社会において民族集団の枠組みが他者との関係性のなかで構築される過程として位置づけることができる。

〈第二報告〉(15:45~17:45)
報告者:高橋 塁氏(東海大学政治経済学部経済学科・准教授)

報告題目:「近代精米技術の導入と仏領インドシナ―米市場の発展要因再考―」

コメンテーター:髙田洋子氏(敬愛大学国際学部・教授)

報告要旨:
第2次世界大戦前に仏領インドシナから輸出されたサイゴン米は、ビルマ米、シャム米と比べ、品質的には劣ると評されていた。しかし、サイゴン米の輸出量はシャム米に比肩しうるものであり、ある程度の市場競争力を持っていたことが示唆される。ではなぜ、サイゴン米が劣等財とならず市場競争力を持ちえたのか?本報告では、サイゴン米の市場競争力の源泉として、既存研究ではあまり触れられていないアジアへの近代精米技術導入、特に適正技術の開発と導入に焦点を当てて議論が展開される。その際、アジアへの近代精米技術導入に大きな役割を果たしたイギリスの精米機メーカーであるDouglas
&
Grant社の史料が主として用いられるであろう。また域内米市場が狭小とされるヨーロッパにおいて近代精米技術が開発された背景に関する議論、ビルマやシャムとの比較等を通し、新たな知見を得ることも試みる。

2015年度第1回(4月)関東例会のご案内

2015年度第1回関東例会(4月)を下記の日程で行います。

今回の報告は、上野俊行会員による「ベトナム社会におけるバリアフリー」、村嶋英治会員による「バンコクにおける日本人商業の起源:名古屋紳商(野々垣直次郎、長坂多門)のタイ進出」です。

多くの方のご参加をお待ちしております。

〈2015年度第1回関東例会(4月)〉
日時:2015年4月25日(土)(13:30~17:45)
会場:東京外国語大学・府中キャンパス 
    研究講義棟4階 総合文化研究所会議室
    http://www.tufs.ac.jp/access/tama.html

※4月の例会は、会場準備の都合により、東京外国語大学・府中キャンパスでの開催となります。ご注意ください。

〇第一報告(13:30~15:30)

報告者:上野俊行氏(東京大学総合文化研究科学術研究員)

報告題目:「ベトナム社会におけるバリアフリー」

コメンテーター:古田元夫氏(東京大学大学院総合文化研究科客員教授)

報告要旨:

報告者は、障害者の社会参加を目的に、日常生活における移動困難を補完するものとしてバリアフリー(以下、BF)研究を行っている。特に、ベトナムにおける障害者の割合は、他国と比較しても高いためBF環境がより必要とされる。そして、1998年に「障害者に関する法令」が規定され、2011年に「障害者基本法」が発行され、現在は「国連障害者権利条約」への批准も目指し、社会保障に積極的である。この一方で、ドイモイによる経済開発が優先されていると言える。このような社会環境が、実用的とは呼べないBF(形式的BF)を作り出しているとも考えられる。ベトナムにおいてこのような形式的BFになった原因を、福祉先進国である欧米のバリアフリー化の事例を考察しながら、政府、事業者、障害当事者の関係から論じる。同時に、ベトナムの今後のBFに関し、その特徴から北京、バンコク、台北の事例を取り上げ、ベトナムのBFの可能性を考察する。


〇第二報告(15:45~17:45)

報告者:村嶋英治氏(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授)

報告題目:「バンコクにおける日本人商業の起源:名古屋紳商(野々垣直次郎、
長坂多門)のタイ進出」

コメンテーター:宮田敏之氏(東京外国語大学教授)

報告要旨:

シャムの首都バンコクにおける近代日本人の商店創業の初期時代についての研究は、筆者が知り得る限り皆無である。
日本人のバンコクへの商業的進出開始と同時代あるいはそれに近い時代において、日本人商業のシャム(タイ)における起源に触れたものとしては、3~4の記述資料が存在する。しかし、その内容は、相互に矛盾しており、これらの資料は執筆者が知っている部分的断片的事実を記載したに過ぎないのではないかと思われる。
このうち、最もよく知られている資料は、図南商会(石川安次郎)編纂『暹羅王国』(経済雑誌社、東京、1897年9月9日発行)の次の記述である。
 「暹羅に於ける日本商店の歴史を略叙せば、左の如し。第一 野々垣商店(既閉)、千八百九十一年の頃名古屋の人野々垣某、雑貨店を開く。山本鋠介之が通弁たり。六ヶ月にして閉店。是れ実に盤谷府に於ける日本商店の嚆矢たり」(同書、152頁)。
 図南商会は、1894年6月に初訪タイし翌年9月頃まで在タイした後一旦帰国し、1895年10月25日付けで再訪タイの旅券下付を東京で受けた阿川太良(1865-1900、山口県士族)が、石川安次郎などの支援によってバンコクに開いたものであり、上記引用部分の記述は、阿川太良の情報によるものと思われる。
 一方、1891年5~6月に日本商品買付のため来日した、タイ人官吏クンペエに通訳として同行して一時帰国した山本安太郎(1872年6月生、福島県士族、1888年2月渡タイ)は、扶桑新聞(名古屋の地方新聞)のインタビューに「暹羅には斯く日本品を需用すれども商店とては曾て名古屋の人長阪某の雑貨店ありしも今は引払ひて一軒もなし」(扶桑新聞1891年5月28日号)と答えている。
このように、バンコクにおける日本人商店の嚆矢を「野々垣某」と「長阪某」としたものの二種類があるが、同一の資料のなかで両方の名に言及したものはない。
彼等のフルネームやプロファイル、更にはどうしてタイに商店を開くことになったのかという経緯やタイでの営業の実態、そもそも1891(明治24)年創業は間違いないのか、などについては全く調査がない。本報告では、これらの点をできるだけ明らかにしたい。
なお、報告者の同名論文は、『アジア太平洋討究』24号(本年3月刊)に掲載されており、間もなく早稲田レポジトリによりウェブ上に公開されるはずである。


例会終了後に懇親会を予定しております。
ご不明な点などございましたら、関東例会委員(kanto-reikai☆tufs.ac.jp)までご連絡ください。(☆には@が入ります。)

関東例会委員
カテゴリ
最新記事
リンク
検索フォーム
QRコード
QR