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2017年度第4回関東例会(1月27日)のご案内


2017年度第4回関東例会を下記の通り、開催いたします。

今回は「東南アジア大陸部における被戦争社会と地域住民」と題した
シンポジウム形式で行います。詳細は以下をご参照ください。
皆さまのご参加をお待ちしております。

日時:2018年1月27日(土)13:30~17:45
場所:東京外国語大学本郷サテライト5階セミナー室
*地下鉄本郷三丁目駅より徒歩5分(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

シンポジウム
「東南アジア大陸部における被戦争社会と地域住民」

プログラム
13:30~13:50 趣旨説明:瀬戸裕之(新潟国際情報大学国際学部・准教授)
13:50~14:35 第一報告:西本太(長崎大学熱帯医学グローバルヘルス研究科・客員研究員)
「ホーチミントレイルとラオス南部山地社会の協力者」
14:35~14:45 質疑応答
14:45~15:00 休憩
15:00~15:45 第二報告:小島敬裕(津田塾大学学芸学部・准教授)
「ミャンマーにおける戦争と中国国境周辺地域の変容-少数民族パラウンの生存の技法に注目して」
15:45~15:55 質疑応答
15:55~16:10 休憩
16:10~16:30 コメント:下條尚志(静岡県立大学大学院国際関係学研究科・助教)
16:30~17:45 総合討論

要旨を以下に掲載させていただきます。
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「東南アジア大陸部における被戦争社会と地域住民」

企画の趣旨:
現在,東南アジア大陸部は,1980年代以降の和平の進展と市場経済化の導入,1990年代以降のASEAN地域統合の展開を受けて,人々の生活や社会が大きく変化を遂げつつあります。しかし,ミャンマーなどでは独立後間もなくの時期から少数民族地域において紛争が継続し,インドシナ地域では1960年代,1970年代から1990年代前半まで,ベトナム戦争・カンボジア紛争をはじめとする国際紛争に巻き込まれるなど,長期に渡って戦争の被害や影響を受けた地域であるといえます。さらに,地域住民にとっては,戦火からの避難,生活の破壊や社会の分断,住民構成の変化などが生じ,その後の人々の生業や地域の社会形成にも大きな影響を与えたのではないかと推測されます。
「東南アジア大陸部の被戦争社会の変容とレジリエンス」研究会は,東南アジア大陸部を,戦争によって社会形成が大きな影響を被った地域(=被戦争社会)として位置付け,戦争下での地域住民の生存,戦後の生活再建などを考察することにより,戦争と地域住民との間のかかわりと,戦争が住民の生活・生業など社会変化に与えた影響を明らかにすることを目的とした研究を行っています。本研究の視点の特徴は,第1に,国レベルより下の地域・村レベルでみたときに,戦争が地域の人々にどのような影響を与えたのかを考察し,第2に,戦争中・戦争直後の人々の被害だけでなく,その後の生活・生業変化を考察することにより,戦争の影響を受けた人々の生存戦略が社会形成に与えた影響について再考することを課題としている点です。
本日の報告では,冷戦の影響を受けて激しい戦争が行われたラオス南部の事例と,低強度であるが長期にわたって紛争が続けられてきたミャンマー少数民族居住地の事例を報告し,戦争と人々の生存戦略が地域に与えた影響について議論したいと考えています。

(1)西本太(長崎大学・熱帯医学グローバルヘルス研究科)
発表題目:ホーチミントレイルとラオス南部山地社会の協力者

要旨:
ラオス南部とベトナム中部にまたがる国境周辺の山地では,第二次世界大戦の終結直後から,インドシナの共産主義勢力による拠点化が始まった。その拠点化が後のホーチミントレイルの基盤となった。当時の山地が国家権力の空白地帯だったわけではなく,統治システムが曲りなりにも根を下ろしていたため,共産主義側兵士の浸透は一筋縄では行かなかった。また,平地からきた共産主義側兵士にすべての住民が協力したわけではなく,むしろ米軍によるホーチミントレイル爆撃に一方的に巻き込まれ被害を被っただけの住民も多数あった。それでも,山地社会の協力者を獲得したことは,国民国家建設の大義にとって重要だった。この発表では,共産主義勢力と山地住民の相互関係に着目し,共産主義勢力が山地社会にどのように浸透をはかり,また一部の住民がどのように協力していったかを,当事者の回想から明らかにする。

(2)小島敬裕(津田塾大学・学芸学部)
報告題目:ミャンマーにおける戦争と中国国境周辺地域の変容—少数民族パラウンの生存の技法に注目して

要旨:
ミャンマーでは独立以降,国軍と少数民族軍の間で戦闘が断続的に発生してきた。本発表では,現在まで戦争が継続する中国国境周辺の少数民族パラウンとシャンに注目し,村人たちの戦争からの生存の技法と,それが地域社会に与える影響を明らかにする。調査は,2015年から2017年にかけて,シャン州,カチン州を中心に行った。
調査の結果,明らかになったのは,農村部の村人にとって自民族軍からの徴税・徴兵の被害が深刻だということである。中でも民族州内のマイノリティーは,国軍や州内の多数派民族軍からも含む多重の抑圧を受けている。これに対して村人たちは,出家,若年結婚,戸数詐称など様々な技法を用いて生存を図る。また他地域や都市への移住も頻繁に起こるが,その際には親族や知人のネットワークをたどる他,民族内での相互扶助も行われる。移住先は,開発が進む中国雲南省にも拡散しており,これらの活動が国境周辺地域に変容をもたらす要因ともなっていることを示す。

コメンテーター:
下條尚志(静岡県立大学大学院国際関係学研究科)

2017年度第3回関東例会(11月25日)のご案内

11月25日(土)に、関東例会(11月)を開催いたします。
皆様のご参加をお待ちしております。

日時:2017年11月25日(土)13:30~17:45
場所:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室
*地下鉄本郷三丁目駅より徒歩5分(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

第1報告(13:30~15:30)
報告者:小田なら氏(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 特任研究員)
題目:「北ベトナム(1954~1975)の医療制度整備における「ベトナム伝統医学」の創出」
コメンテータ:板垣明美氏(横浜市立大学・准教授)

報告要旨:
 本報告は、南北分断期のベトナム民主共和国(北ベトナム)で保健省が中心となって医療制度を整備していく過程で、伝統医学がどのように公的に定義され、制度内に位置づけられるようになったかを跡づけ、その利用を推進した理由を明らかにする。
 具体的には第一に、治療者の資格と組織が整備され、「科学的」な伝統医学を定義していった背景を明らかにする。第二に、医療現場ではベトナムの薬「南薬」のみならず、中国由来の「北薬」も伝統薬として利用されていた点、同時に鍼灸治療も積極的に用いられていた点とその理由を示す。伝統医学の内実は一貫したものではなく、その時々の実践によって変化していたのであった。これより、ホー・チ・ミンをはじめとした「上からの」改革によってベトナムの伝統医学が公的医療制度内に導入された、というイデオロギー先行の従来の語りに対し、公文書と病院での診療記録などの一次資料を用いて批判・検討を加えたい。


第2報告(15:45~17:45)
報告者:吉川和希氏(大阪大学文学研究科・博士後期課程)
題目:「十八世紀のベトナム黎鄭政権と北部山地―諒山地域の在地首長の動向に関する分析を中心に―」
コメンテータ:武内房司氏(学習院大学・教授)

報告要旨:
 18世紀は東南アジアの「華人の世紀」に当たり、北部ベトナムにも中国内陸地域から大量の華人が陸路で流入し、北部の山地社会に多大な影響を及ぼしたことが先学により指摘されている。一方で18世紀半ばには、流民の大量発生を背景に北部ベトナム各地で動乱が発生したが、それは山岳地帯も同様であった。ただしかかる時代における各地域の実情を多面的に描き出す作業は近年ようやく緒についたばかりであり、北部山地の在地首長たちの対応についても、史料の制約もありこれまで殆ど考察されてこなかった。そこで本発表では、北部山地の中でも諒山地域(現ランソン省)に焦点を当て、現地での史料調査を通して収集した首長一族の家譜や行政文書などを分析することで彼らの動向を考察する。そして、動乱に巻き込まれる中で不安定な立場に置かれた彼らが既得権益の保証のためにベトナム王朝との結びつきを強めていったことを明らかにする。

2017年度第2回関東例会(2017年10月28日)のご案内

10月28日(土)に開催いたします、関東例会のご案内をさせていただきます。
みなさまのご参加をお待ちしております。





*日時:2017年10月28日(土)13:30~17:45
*場所:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室
     (地下鉄本郷三丁目駅より徒歩5分 http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)


*第1報告(13:30~15:30)

報告者:石橋弘之(早稲田大学人間総合研究センター 招聘研究員)
題目:「カンボジアにおける交易品の産地形成-カルダモン産地の開拓史再考-」
コメンテーター:丸井雅子(上智大学総合グローバル学部 教授) 

報告要旨:
 本報告では、カンボジアの西方にあり、タイと国境を接するカルダモン山脈を対象に、交易品カルダモンの産地が形成された過程を明らかにする。
 カルダモン山脈は、19世紀の植民地期前後より、カルダモンを特産の交易品とする地域とされてきた。そこに暮らしたモン・クメール系ペアル語派の少数民族の人々は、カルダモンを、カンボジアやシャムの王に貢納してきた。
 一方で、カルダモン産地の形成を論じた民族植物学者マルタンは、植民地史観と本質主義に基づく立場から、産地の開拓は、13世紀の古代に始まり、開拓者は産地へ移住する前にアンコール地域にいたと強調してきた。
 本報告では、19世紀から20世紀中頃に、カンボジア中央部の政治体制が、交易を王権の基盤とする体制から植民地体制へと移行した後に、国民国家として独立した近代の歴史的文脈と、カルダモン産地の開拓者たちが移住先とした現場の文脈をふまえて、その産地の形成過程を再考する。具体的には、カルダモン産地の形成を、開拓の伝承と、栽培による産地の拡大から検討し、その生産に関わる制度の形成を、国家制度と、現場の指導者から検討する。


*第2報告(15:45~17:45)

報告者:工藤裕子(立教大学アジア地域研究所 研究員)
題目:「オランダ領東インドへの日本製品輸出と華人流通網-20世紀初頭のジャワ市場におけるマッチを中心にー」
コメンテーター:陳来幸(兵庫県立大学経済学部 教授)

報告要旨:
 本報告の目的は、19世紀末から1920年代にかけてオランダ領東インドに流入した日本製マッチを通じて、アジア域内貿易における華人の活動を実証的に検討することである。日本はアジアで最も早くマッチの国産化に成功し、明治大正期には域内最大の輸出国となったが、消費地のひとつであるジャワの市場では西から進出したスウェーデン製マッチと激しい競争を繰り広げた。当初この日本製マッチの輸出を担っていたのは、生産地の神戸や香港、シンガポール、ジャワの各地に拠点を持つ華人であった。本報告では、東西の国際商品の競合市場における日本製品の位置づけと華人の貿易活動の関連を明らかにし、輸入・販売事業者の類型化やジャワの市場特性にも言及する。一次史料として、貿易統計や日本外務省記録のほか、流通時期や販売地域、消費者の嗜好を解明するための試みとして現地で流通していたマッチの商標と商標登録の記録を用いる。



ご不明点は、関東例会(kanto-reikai[at]tufs.ac.jp)までお問い合わせください。

2017年度第1回関東例会(4月8日)のご案内

2017年度第1回関東例会を4月8日(土)に開催致します。

今回のご報告は、大久保翔平会員による「東南アジア島嶼部におけるアヘン消費の広まり―17世紀後半から18世紀半ばを中心に―」および川島緑会員による「19世紀初頭東南アジアのイスラーム・ネットワークのなかのミンダナオ ―写本と口承からみるサイイドナー・ムハンマド・サイドの旅―」の2報告です。

詳細は下記をご覧下さい。
多くの方々のご参加をお待ちしております。

日時:2017年4月8日(土) 13:30~17:45

会場:東京外国語大学 本郷サテライト5階セミナー室
(http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html)

☆第1報告(13:30~15:30) 
報告者:大久保翔平(東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻アジア史専門分野博士課程)
題目:「東南アジア島嶼部におけるアヘン消費の広まり―17世紀後半から18世紀半ばを中心に―」
コメンテーター:弘末雅士(立教大学文学部教授)

<報告要旨>
 本報告は、17世紀後半から18世紀半ばにかけての東南アジア島嶼部におけるアヘン消費の広まりを検討するものである。シンガポールのアヘン徴税請負についての研究で知られるカール・A・トロツキも認めるように、17世紀後半以降のアヘン貿易拡大に果たしたオランダ東インド会社の影響は大きかった。それにも関わらず、アヘン貿易や消費に関する研究は18世紀末以降に集中しているのである。
 このような問題意識に基づき、本報告では18世紀半ばまでのアヘン消費のあり方を分析し、アヘン貿易の拡大が果たしたアヘン消費への影響を考察する。ヨーロッパ人の残した各記録からは、アヘン消費に娯楽や医療、戦争といった多様な側面があったことを観察できる。一方、当該期の時点で、商品作物や鉱産物の生産現場での消費、依存の問題、徴税請負の芽生え等、従来18世紀後半以降のものとして強調される事象について、その萌芽を見出すことができるのである。

☆第2報告(15:45~17:45)
報告者:川島緑(上智大学総合グローバル学部教授)
題目:「19世紀初頭東南アジアのイスラーム・ネットワークのなかのミンダナオ ―写本と口承からみるサイイドナー・ムハンマド・サイドの旅―」
コメンテーター:太田淳(慶應義塾大学経済学部准教授)

<報告要旨>
 18-19世紀南部フィリピンのムスリムに関する歴史研究は、武装商人の軍事・経済活動や、政治支配者に関するものが多く、個々のイスラーム学者に関する実証的な事例研究はほぼ皆無である。本研究は、このような研究の偏りを是正し、南部フィリピン出身ウラマーの知的活動の実態、および、東南アジアと中東のウラマーをつなぐネットワークにおいて彼らが占めた位置を明らかにすることを目的とする。具体的には、ミンダナオ島内陸部ラナオ湖岸出身で、19世紀初頭、マッカ巡礼の旅を果たし、帰郷後、現地の社会制度を改革したと伝えられるイスラーム学者・イスラーム聖者、サイイドナー・ムハンマド・サイドという人物に焦点を当てる。報告者が現地調査で確認・複写した写本を主な史資料と用い、口承と比較検討しつつ、サイイドナーの旅の経路と出来事を跡付け、彼が故郷の社会に何をもたらしたかを検討する。それを通じ、19世紀におけるマレー世界他地域や中東との交流が、ミンダナオ島ラナオ地域の宗教や社会に与えた影響を考察する。

例会終了後、18時から19時頃まで、同会場にて懇親会を予定しております。

ご不明な点などございましたら、関東例会委員(kanto-reikai[at]tufs.ac.jp)までご連絡ください。([at]を@にして下さい)







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