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2011年度第1回(4月)の関東例会の報告(その2)

4月23日(土)に行われました2011年度第1回関東例会(@東京外国語大学本郷サテライト)
の議事録データをアップします。

東南アジア学会関東例会討論部分の議事録

日時:4月23日(土)13:30~15:00 
第一報告者:江藤双恵(獨協大学国際教養学部他非常勤講師・東洋大学人間科学総合研究所客員研究員)
報告題:「コミュニティ福祉の実現に向けた地方自治体の実践―タイの『コミュニティ内家族開発センター』―」
コメンテーター:青山亨(東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授)

1.コメンテーターのコメントおよび質問
①少子化・高齢化は20年前まで東南アジア圏で予測されていなかった問題であるが、今や、タイもその解決に取り組み出している。その過程で、コミュニティの開発が重要視されている。本報告では、基本的には役人へのインタビューなど、制度側から収集した資料を使用して議論されていたが、一方、制度の恩恵を受ける一般住民の様子はどうであったのか。
②本報告では、タイでは家庭内暴力(DV)が具体的な問題としてとらえられているとのことであったが、実態についての数値的データはあるのか。またDV問題に対してコミュニティレベルで具体的な対策等は打ち出されているか。この問題がこの政策によって、実際に改善されているのかがわかるような数値的なデータがあるとよい。
③「コミュニティ」という概念はあいまいなものである。たとえば、プログラムを実際に動かす現場の受け皿となるような住民組織はあるのだろうか、あるとすればどのようなものであろうか(インドネシアの場合は、町内会のような組織がその機能を果たすと考えられている)。

報告者の回答
① 今回の報告で扱った「コミュニティ内家族開発センター」に関して報告者がこれまで集めてきた資料は、地方自治体の担当職員への聞き取り、職員作成の資料、中央官庁での聞き取りのみである。参加者住民の声は聞いていない。保健省が管轄する同様のプログラムのパイロットサイトでは、看護士や保健士によって実施された研修の参加者(住民)の声を聞くことができた。たとえば、親子間のコミュニケーションが改善されたなどのとの声があった。今後、より時間をかけて住民の声を拾っていく必要がある。
② 「コミュニティ内家族開発センター」2010年評価報告書では、具体的な数値は示されていないもののDV問題が改善されたと指摘されている。他方、近年のジェンダー統計からは、DV被害届の提出数が増加したことがわかる。
③ 政府の計画文書では、農村部においてはムーバン、都市部においてはチュムチョンが「コミュニティ」として定義されている。地域差などもふまえて、これらの住民組織が政策文書中で定義される「コミュニティ」として機能するかどうか、今後の展開を見ていかなくてはならない。

2.質疑応答、コメント等
質問:
 日本人の我々がタイの事例を考察するに当たり、どちらの国の方が進んでいるか、また何が望ましいかという価値判断を入れて研究対象をみることに疑問を感じる。東南アジア社会学において、『家族」という概念については様々な議論がなされてきたが、本報告での家族の概念とは何か明示するべきである。                              
回答:
 プログラム自体が家族の制度化を掲げていることから考えると、今までになかったタイプの家族像を模索していく動きがあるのかもしれない。あるいは、近代家族としての家族のあり方を国民に啓蒙する役割をプログラムが担っているともいえる。そのイメージが、政策文書や官僚、研究者が示す「強い家族」、「温もりのある家族」である。タイの世帯統計では、核家族が半数以上を占めており、シングル・ぺアレントが相対的に高い数値を示す。核家族といっても、日本の核家族がそうであるのと同じように、出身世帯や親世帯との結びつきが強く、西洋的な意味での核家族とは異なる。

質問:
 地域研究的観点から、本研究で触れられたタイにおける介護の問題、「家族」のあり方について考える。タイ、とりわけタイの農村には、我々が考える家族とは全く異なる現実があり、本報告から何が言えるかを考えていく。「コミュニティ内家族開発センター」という政策は、本当に地方自治体、コミュニティ福祉の実現に向けたシステムとして捉えられるのか。制度(骨格)ばかりが語られ、村で行われる実践(中身)が皆無という印象を受けた。実際に地方の自治体で実施されている「コミュニティ内家族開発センター」プログラムの成果を問うためには、村長や自治体職員の意見、村人の意見、それらのズレなど3重クロスチェックをして確認するような作業が必要である。また、本発表の事例にみる福祉コミュニティの実践を担う人々の経歴、出身地域などについて、必ずクロスチェックして相対化しながら現場を見る必要がある。そして何故、このようなシステムが今、構築されているのか答えを見つけ、制度的な整理として報告に留めるという方法もあろう。もしくは、制度的な側面から現代タイ社会の家族とは何かを浮き彫りにするというようなやり方もあるだろう。また、本報告ではタイ東北地方のコンケン県と地域限定しているため、コンケン県が抱えている問題を指摘しなければならないのではないか。タイの「家族」像を再度捉えなおす作業が本報告の意義になるのではないか、と充実したコメントが提示された。また日本社会とタイ社会の比較においては、類似点、相違点を明らかにした上で議論を進めていくべきである。

コメント:
 中央で立案された政策の理念が末端まで行き渡っていないという否定的な議論を展開するのではなく、コミュニティが如何に地元に合うように換骨を奪胎していく部分を明示させると本発表は興味深いものになるであろう。地方自治体職員の恣意で進行されるプログラムについて、自治体レベルでのニーズに応じて地元がどのように取り組むかなど、地域独自のオリジナリティのようなものが出てくるのではないか。                       

コメント:
 調査結果(レジュメ8頁・1)で“センター”と言う言葉が提示されているが、実際はセンター=プログラムということが判明している。地方自治体で実施しようとした政策のモチーフが現実に地域に入り込んだときに、如何に受入れられ、実施されているかに焦点を当てれば報告全体がまとまるのではないか。                               
コメント:
 母親目線から本発表を傾聴していると、現代タイ社会において理想の家族を模索する制度を作っていこうとする政府の枠作り作業自体に疑問を感じてしまう。日本の場合、小学校のある自治体よりも地元のママ繋がり等の個人レベルの関係性が機能している。様々なつながりがある中で、それらの繋がりをさらに繋いでいくのが自治体であり、タイ社会の事例を考えたときに草の根レベルのつながりがどうなっているのか事例があると興味深い。           
コメント:
 家族制度の背景、政策立案過程と実施状況のギャップが、本報告の議論の核と成り得る着眼点ではないだろうか。具体的には、DV問題について米国、西洋諸国帰りのタイ人職員が持ち込む西洋的な視点と、現地の状況との間の文化的ギャップについて慎重になる必要がある。1994年の国際家族年を期契機として家族制度開発政策が開始したのだから、これはまさにトップダウン式のプロジェクトである。こうした背景をおさえた上で、地域レベルでうまく機能しない非現実的プロジェクトが誰によって立案されたのかを意識しつつ、政策立案過程並びに実施過程における問題点、および地域レベルでの換骨奪胎について議論すれば面白くなる。たとえば、地域密着型のプロジェクトなのか、それとも理想主義的制度寄りのプロジェクトなのかなど調査者の客観的視点を交えていくなど。

コメント:
 パイロットサイトで活躍する地方自治体の女性職員自身の個人的経験と、政府が掲げる理念にもズレが見られる。そこから以下3点ほど指摘する。まず、制度面では理想的な「家族」像を掲げているが、実際に事業に従事する職員の経歴、境遇など(離婚経験、託児所の重要性を主張)を考えると、必ずしもその理想像に適った人物がプログラムを担っているわけではない。そういう人は、時には住民から非難されることなどがあるのではないだろうか。
ある基準からしては「家族崩壊」と捉えられても、別の地域ではそれも家族としてのあり方のひとつという場合もある。事例をみると、タイ社会におけるケアの市場化すなわち私的領域から公的領域への移行や、親族ネットワーク重視型の子どものケアなどが伺える。こうしたいくつかの提案を、タイ社会における意識変化という視点から議論を展開することも今後可能であろう。



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日 時:2011年4月23日(土)15:00~17:30 
報告者:矢野順子(一橋大学大学院言語社会研究科博士研究員、東京外国語大学非常勤講師)
第二報告:「ラオスにおける言語ナショナリズムの展開―タイ語・フランス語からの言語的独立―」
コメンテーター:菊池陽子(東京外国語大学大学院総合国際学研究院・国際社会部門准教授)

コメンテーターのコメント

① ラオス研究の中で王国時代の研究の蓄積は全体的に少なく、パテート・ラオ現政権が正統政権となっているため現在のラオス社会では否定されるべき対象として捉えられている中、ラオス人並びに外国人研究者が本研究に従事することは難しい状況である。しかし、こうした状況下で限られた資料を駆使して、王国時代の状況を明らかにしようとした点で本研究は価値ある研究と評価できる。
② ナショナリズムに関して言えば、一般的にアンダーソンは植民地時代に区切られた領域の中での巡礼圏や出版資本主義を事例に議論してきた。しかし、ラオスの状況を考えてみると、1893年にフランスがラオスという領域を作った訳だが、果たしてヴィエンチャンが中心的な場所だったかというと慎重に検討を重ねなければならない。植民地時代のラオスには巡礼圏やカリスマ的指導者は不在であったし、近代教育を受けた人物はごく少数である。また出版資本主義は、植民地時代にはなく、「想像の共同体」を創造する要素がほとんど無い状況であった。1945年の日本降伏以降、植民地支配で形成されたラオスという領域を出発点にラオスと言う国家を作ろうとした人たちはいるが、彼らが当時、どのように台頭してきたのかを説明するのに、アンダーソンのいう「想像の共同体」論をそのまま当てはめることはできない。そこで本報告では、言語という視点から、自分たちとは異なる対外の存在(タイ)を媒介として、EvansやStuart Fox等のラオス研究者が、“Laoness”と呼ぶような、ラオをつくっていく点に注目した。何故、ラオスという国が、近隣民族との関係のなかで生き残り、中心性の問題から見れば国家の上からの権力が脆弱と考えざるを得ない状況であるにも拘わらず、存続可能であったのかについて、これまでの研究では明らかにすることができなかった。このようなラオス研究が抱えていた問題に対し、本報告は一つの現象を提示できたのではないかと評価した。
③ Stuart Foxによれば、国民国家の形成に関する議論のなかで、仏領官僚は“フランスは、ラオスをつくったがそこに魂を全く入れなかった”という。これは、当時、ラオスという語彙はあったが、それ以降、ラオス人たちがどうするかは具体的な動きが見られてこなかったことである。この魂をどのように醸成していくかという点について、1940年代以降、今尚、検討中なのがラオスの現状である。75年以降、国民国家形成の為の様々な装置が設けられている。ただし、言語ナショナリズムを論じる際、国内ではエリートの言説、正書法や語彙に固執してしまうが、一方、現況のラオス国内では話し言葉の正書法は成立しておらず、寛容である。官僚、役人、知識人も話す方は余り関心を払わず、正書法のみを重視している。このような現状をどのように捉えていくかも今後の課題であろう。
 
報告者の回答
 ラオスのナショナリズムに関する研究書には、ラオスは政治的都合によって成立した領域と書かれていることがほとんどであり、共通理解としては王国時代にはナショナルなまとまりというものはなかったと論じられてきた。これに対し、本研究は、言語に着目し、ラオ語を介してナショナルなものを意識していく過程を描き出していく試みであった。王国時代を明らかにすることは、75年以降の動きを明らかにしていくことにもつながる。現地知識人によるフランス語排斥運動と、パテート・ラオによるラオス語をプロパガンダとしていく動きの合流は、75年以降の国民形成につながるであろう。今後も社会主義革命の間近の王国時代のナショナリズムについて研究していく。また、一方で、ラオス語の標準化は、書記言語の側面のみであり、音声については手付かずの状況であることは不思議である。その要因の一つとしては、1975年以前は内戦・紛争などの混乱期にあり、また現在なお、言語研究所も予算不足で音声統一のための言語学的調査が十分に実施できない状況にあるということが考えられる。


文責:平田晶子(東京外国語大学大学院)

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